特別扱いの横綱はいらない

スポーツの大会や試合で、調子がよかったり、作戦がうまくはまったり、運があったり、はたまた相手が不調だったりすると、「風が吹いている」なんて表現をしますけど、この平成29年初場所の大関・稀勢の里がまさにそれでした。

本人は序盤からそんなにいい内容ではなかったものの土俵際の粘りと地力で白星を積み重ねていると、まずは互いにライバルと認め合う横綱・日馬富士が太腿の怪我で絶不調だった上に太腿の怪我で7日目から休場、先場所優勝の横綱・鶴竜は好調かに見えたものの4日目に平幕に敗れてリズムを崩して連敗するとメンタルまでもが崩壊して11目から休場、大関陣も慢性的な怪我を抱えた琴奨菊と照ノ富士は序盤から不安定。
そんなか横綱・白鵬はいいときの強さはないものの立ち合いの工夫で勝ち星を重ね、大関・豪栄道も場所前の負傷報道もなんのそのと上位争いに踏みとどまります。

そのように横綱・大関陣に元気がない初場所でしたけど、平幕たちの活躍で土俵は大いに盛り上がり(長野県では御嶽海一色)、優勝争いも12日目終了時点で稀勢の里が1敗、白鵬が2敗、前頭10枚目の貴の岩と13枚目の逸ノ城も2敗という大混戦。
稀勢の里の”初優勝”か、”平幕優勝”か、相撲ファンの期待も大きく高まると同時に、審判部や横綱審議委員会から場所後の稀勢の里の”横綱昇進”の話もちらほら出始めたわけです。

そうして運命の13日目、稀勢の里は難敵・豪栄道を迎えるはずでしたが、豪栄道は前日の土俵で足を負傷してしまってまさかの休場。稀勢の里は労せずして不戦勝。
今場所の横綱・大関陣で、稀勢の里とまともに戦えそうだったのはこの豪栄道と白鵬だけだっただけに、何ともつまらないことになりました(稀勢の里に土をつけたのが大関から陥落した琴奨菊というも面白いところ)。
そう思っていたら貴の岩と逸ノ城も黒星を喫し、優勝争いは1敗の稀勢の里と2敗の白鵬のマッチレースに。
せっかくの混戦もこれで終わってしまうと、14日目に白鵬が貴の岩に不覚を取って3敗に後退し、1敗の稀勢の里の優勝が確定。

稀勢の里は14勝1敗という見事な成績の優勝ながら、横綱・大関との対戦が3番しかなく、これを2勝1敗。
平幕勢に押し込まれる相撲も多く、盤石な内容は数えるほどしかありませんでした。
しかし、そんななかでもしっかり勝ち星を拾っていると、上位陣が次々と欠けてゆき、いつのまにか賜杯を抱いているのですから、まさに”風が吹いた”としかいいようがありません。ここまで何度も跳ね返されてきた”優勝の壁”をこんな形で乗り越えるとは本人も思ってもみなかったことでしょう。
普通は”この一番に勝ったら優勝の可能性がぐっと高くなる”という大一番があるものですけど、それがないままに優勝してしうまうのですから、本当に珍しい優勝でした(休場がなければ豪栄道戦がそれになったでしょう)。

しかし、これも”運命”かもしれません。
大きな何かが稀勢の里の優勝を認めたのです。
そういう風を、流れを、しっかり掴んだ稀勢の里の勝利です。
新入幕の平成16年九州場所から期待を背負って戦った約12年、ここまで本当に長い道のりでした。
心からの「おめでとう!」をいいたいですね。
今月号の『相撲』の表紙は稀勢の里と豪栄道でしたけど、ちょうど手元に新関脇・稀勢の里と返り小結・豪栄道が表紙の『相撲』があって、それを眺めていたら私も胸が熱くなりました。

…ただ、この”初優勝”によって、横審が下した”横綱昇進当確”という判断と、メディアが作る祝福ムードは、私にはとうてい理解できません。
横綱昇進の内規は「大関で2場所連続優勝かそれに準じる成績」のはずです。
先場所の稀勢の里は12勝3敗という成績上は2位ながら、鶴竜が14日目に優勝を決めているわけですから、普通のひとは優勝に準じているとは思いません。
この四半世紀、ひとりの例外もなく、内規に従っているのに、なぜ稀勢の里だけ特別扱いするのでしょう?
初めからミソがついた横綱なんて、かっこ悪くて見ていられません。
「偽物だ!」だという批判に反論する手段を持たない横綱に価値があるのでしょうか?

いまの稀勢の里は間違いなく幕内最強力士なのですから、来場所を綱取り場所して、そこで天下万民に認められた横綱になるべきです。
稀勢の里の人気の秘訣と存在意義は”ガチンコ”にあるのに、昇進の度に手心が加えられていれば、その魅力は半減してしまいます。
横綱返上を申し出た千代の山ではありませんが、できれば伝達式で、「来場所まで待ってください!」といって断って欲しいものす。
そうして2場所連続優勝すれば、真の日下開山だ!
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停滞期を打破する力士の登場を望む

平成28年(2016年)九州場所、大関・稀勢の里は千秋楽に勝って12勝3敗で場所を終え、星取りの上では”2位”だったものの、横綱・鶴竜が14日目に優勝を決めたため(14勝1敗)、誰がどう見ても「優勝に準ずる」とはいえない成績だったものの、その年の最強力士である”年間最多勝”を獲得したこともあってか、審判部からは「来場所ハイレベルな優勝争いをすれば」という”綱取り”を認める発言がありましたよね。
私はこれにはほとほと呆れました。
横綱審議委員会の内規には、「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績を上げた力士」とありますけど、この20年間に生まれた8人の横綱は、鶴竜を除いて全てが2場所連続優勝での昇進、鶴竜だって決定戦までいっての準優勝(14勝1敗)の次の場所で見事優勝(14勝1敗)したわけですから、十分に内記に適っているわけです。
それをなぜ稀勢の里だけ内記を緩和するのか、私には理解できません。
優勝(13勝2敗)→勝ち星2位(13勝2敗)→優勝(13勝2敗)で涙を呑んだ小錦や、優勝(13勝2敗)→勝ち星2位(13勝2敗)でぬか喜びした魁皇にどう説明するのでしょう?

そんな思いでこの平成29年初場所を眺めていた私ですが、今場所の稀勢の里の泰然自若とした相撲を見ていて、「全勝ならば昇進させてもいいのではないか…」と思い始めていたんです。
ところが、中日に勝ち越したものの腰が高くなる悪い癖が出ると、今日9日目には今場所不調の琴奨菊にがぶられてのあっけない敗戦。
中日に白鵬が負けて単独トップに立ったことがかえって重圧になったのかもしれませんね。
これまで何度も見た光景ですけど…。

年間最多勝を獲ったことでもわかるように、現在幕内最強は間違いなく稀勢の里でしょう。
しかし、それは稀勢の里が強いのではなく、周りが衰えたから、といった方が正しいように思います。
横綱・白鵬と鶴竜は31歳、横綱・日馬富士と大関・琴奨菊は32歳。
年齢もそうですし、蓄積した疲労や負傷で、みんなもう全盛期はとうに過ぎました。
いま元気な稀勢の里や大関・豪栄道にしろ30歳ですし、大関以上で20代は25歳の大関・照ノ富士しかいません。
その照ノ富士も膝の怪我を抱え、伸びしろが感じられず、横綱・大関陣は看板ほどの強さはないといっていいでしょう。

昨年から高安や正代が注目され始め、今場所は御嶽海が活躍し、若手の台頭が叫ばれる大相撲ですが、若手が強くなったのではなく、上が衰えてきたわけです。
本当に強い若手が出てきたら、その力士はとっくに大関になっていますよ。
いまの20代半ばの力士のなかに、これからの大相撲を背負って立ちそうな顔がいないことをもっと心配すべきです。
過去の横綱たちの多くは20代半ばには大関になっていて、早いひとならもう綱を締めていたんです。それを忘れてはなりません。

周りが衰えても綱が取れない稀勢の里、上を食えない若手たち。
いまの大相撲は完全に停滞期に入ってしまっています。
昨年は5人の優勝力士が出るなど混戦状況が続いていて、予想もつかない優勝争いは面白いかもしれませんが、それは競技的な面白さとはまた別のところにある話です。
あと数年で横綱・大関陣がごっそりと引退することは確実で、平成4年~5年にあった”横綱不在”は、もうすぐそこに迫ってきています。
あの頃は若手に曙や貴乃花、若乃花や魁皇といった〈花の六三組〉が控えていたので問題はありませんでしたけど、ははたしていまはどうなのでしょう?
「日本人の綱取り」ばかりいっているうちに、なんだか取り返しのつかない事態になってきているような気がしてなりません。
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平成28年5月場所、白鵬の宿命的な優勝

「強いひとは大関になる。宿命のあるひとが横綱になる」。

平成28年5月場所13日目、ここまで全勝の横綱・白鵬は、同じく全勝の大関・稀勢の里を下したあと、この深い言葉を残しました。
相撲の内容はというと、立ち合い右から張った白鵬が選んだのは左差し右上手の”左四つ”。
しかし白鵬の本来の型は”右四つ”であり、左四つは稀勢の里の型。
なので、白鵬は立ち合いから押し込んだものの、稀勢の里が押し返し、優位な体勢に。
しかし、攻めるのは白鵬!
常に下から下から、細かく細かく攻め手を変え、徐々に稀勢の里の腰を浮かせると、最後は豪快な左下手投げ!

取組後、この一番を振り返った白鵬は、「勝つなら勝ってみい、それで横綱になってみい、という感じだった」と、わざと稀勢の里十分の形で勝負をしたというのです。
しかし、稀勢の里はそのプレゼントをまったく生かすことなく、単なる引き立て役になってしまったのですから、この一番からは勝敗を超えた2人の大きな差を感じました。

そして14日目に優勝を決めた白鵬は、今日の千秋楽も勝って見事な全勝優勝。
自身が持つ幕内最高優勝記録を37に伸ばすだけではなく、この5月場所は2日目に魁皇が持つ幕内勝利数879を更新、さらには初顔27連勝、ストレート給金(8日目に勝ち越し)27といった記録も更新したのですから、まさに記録づくめの場所となりました。
私もこれまで何度か書いてきましたけど、白鵬はもはや生ける伝説であり、史上最強横綱であることはいうを待ちません。
この大横綱をリアルタイムで堪能できることは本当に幸運です。

しかし、そんな大横綱に対して、我々日本人は正しく敬意を示しているのでしょうか?
少し荒々しい相撲を取ればやれ乱暴だ、立ち合い少し動けばやれ変化だと、ささいなことで難癖をつけ、この大横綱が真摯に相撲に向き合い、積み上げきたものを見ようとしない、そういう態度を私は本当に残念に思います。
もちろん、私も最近の白鵬の相撲には「余裕がないな」と感じています。
31歳というピークを過ぎた年齢ですから、出来るだけ省エネで勝ちたい、相手を心理的に威圧したい、という意識が働いているのでしょう。それを”みっともない”というひとがいることを私も否定しません。
ただ、私は、そうまでして勝ちたい白鵬に、背負っているものの大きさを見ます。

白鵬は、尊敬する大横綱・大鵬からいわれた「横綱は宿命だ」という言葉を大切にしているそうです。
大鵬は21歳で横綱になったとき、まず「引退のことを考えた」というように、”横綱は負けられない。負け続ければ引退”ということ己に課していたと同時に、「下の者に稽古をつけてやって、三役から大関、そして横綱に引き上げてやるのが横綱の立場、役目」とも語っているのです(月刊『致知』2011年11月号)。
これはなんたる矛盾。下の者が上がってくればそれだけ自らの地位が脅かされるのです。
しかし、その矛盾に立ち向かうことこそが”横綱の宿命”なのでしょう。

白鵬が稀勢の里戦で見せた相撲はまさにこの矛盾でした。
大鵬から受け継いだ志を体現してみせたわけです。
ただ、残念なことに相撲解説者や親方衆、横綱審議委員といったひとたちは、そのことに一言もふれていません。
大鵬が亡くなったいま(2013年1月没)、白鵬は本当に孤独です。
しかし、白鵬は2015年5月放送のテレビ番組で、「(本場所の土俵は)特別な場所なんですねあそこは。人を成長させたり、人を試したり、人を笑わせる、悲しませる、色んなものがあるんだよね。だから自分との戦いでありながら、成長するところなんですね」と語っています。
彼はいま、自分との戦いを楽しんでいるのかもしれません。

私はこれからも、そんな大横綱の孤高の戦いを、手に汗握りながら見守りたいと思います。
この5月場所は本当に凄い場所でした。
37度目の優勝おめでとう!
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変化が出来ない雰囲気を否定する

2011年の八百長問題以来、あまり大相撲中継を観なくなった私ですが、取り組みや結果はニュースで追っているので、”大一番”となればやっぱり気になるものです。
その大一番でいえば、この2016年大阪場所のそれは間違いなく11日目の白鵬×稀勢の里。
全勝の大関とそれを1敗で追う横綱の直接対決は、稀勢の里が勝てば優勝と来場所の綱取りが見えてくるだけに、大相撲ファンならずとも注目の大一番でした。
それなのに稀勢の里は立ち遅れて待ったをかけ、やり直しとなった立ち合いは気迫が乗らなかったのか、白鵬に一気にやられて、本当に情けなかった。もうがっかりです。
稀勢の里は以前から”待った”が多すぎます。自分の呼吸でなければ立てないなんて、横綱を狙う以前の問題ですぜ。

私はそんな稀勢の里に以前から大いに不満を持っていたのですが、今場所はかなり見直していたんです。
9日目の琴奨菊との対決で、立ち合い軽く右に変化して、そのまま突き落としで勝った相撲を見て、私は稀勢の里が琴奨菊を取り巻く妙な空気を否定したと思いました。
先場所、日本人(出身)力士として久しぶりに優勝した琴奨菊は今場所が”綱取り”。
日本人横綱の誕生は18年もご無沙汰ということで、メディアはこぞって囃したて、相撲関係者もそれを後押しするような発言ばかり(※NHKの相撲解説で雅山が「今場所の琴奨菊はよくない」とばっさり斬って捨てたのは立派でした)。
みんなで「琴奨菊を横綱にしよう!」は本当に気味が悪かった。
先場所も連勝を続ける琴奨菊に唯一の黒星をつけた豊ノ島が取組後に「外を歩けない。防弾チョッキないかな」とのコメントを残していましたけど、対戦相手に気を使われながらの優勝とか綱取りとか、そんなのが見たい相撲ファンがいるとは私には思えません。

そんな雰囲気ですから、先場所から琴奨菊相手には誰も立ち合いに変化をつけられません。
あの琴奨菊の鋭い踏み込みからの寄りをまともに食らわねばならないわけです。
相手がサンドバックのように立っているのですから、琴奨菊はさぞ気持ちよかったことでしょう。
しかし、こんな馬鹿馬鹿しいことはありません。
相撲の立ち合いは技術もそうですけど、心理戦の意味合いもあるわけです。
力士たちはもちろん、多くの相撲ファンも(上位力士の)立ち合いの状況というのは、何場所も憶えているものです。
過去に一番が布石になって、「今日はどうなるのか…」とあれこれ想像することが面白いわけです。
立ち合いがいつも真正直にぶち当たるだけなら、それはもう相撲じゃありません。
稀勢の里は大相撲を正常化させたと私は思いました。
10日目から琴奨菊と当たる相手は、どれも肩の荷が下りたように自由な立ち合いをしていました。
私は稀勢の里にこそ今場所の殊勲賞を上げたい気持ちです(大関なので本物はもらえませんけど)。

話は少し変わりますが、昨年メジャーリーグでイチローがマウンドに立ったことがちょっとした話題になりました。
メジャーではブルペンを休ませるために時折野手が投げることがあって、イチローも「夢が叶った」とばかりに興奮したようですが、いざ投げてみると、スピードもあまり出ずに直球が簡単に打たれて本人もショックだったようです。
しかし、そのとき興味深いことがあって、2打者目の途中にイチローがスライダーを一球投げたら、相手の打者のスウィングが急におかしくなったんです。
ようするに「イチローには直球しかない」と思っていたのに、変化球も持っていたので、両方のタイミングで待たなければならず、自由にバットが振れなくなわったわけです。
そうするとさっきと同じ直球に詰まってしまうのですから、本当に面白かったです。

このように対戦型のスポーツというのは、”いかに相手の自由を奪うか”というのが重要なわけです。
それが技術戦であり、心理戦なのです。
直球のみを相手に強要するのはスポーツではありません。
やりたいのならばチャリティーマッチか花相撲でどうぞ。

私は”相撲の変化”を認める立場ですし、”変化は食らう方が悪い”という考えです。
ですから、今日の千秋楽で白鵬が日馬富士相手に変化して勝利したことも、日馬富士に問題があるとしか思いません。
ただ、そんな私でも許せない変化があります。
それは苦し紛れの変化です。相手の恐れての変化です。
野球でもそうですけど、投手がびびって四球を出す姿ほど情けないものはありません。
変化云々よりも、闘争心のない相撲を批判しましょう。
そこにこそ八百長の温床があるわけですからね。
また、相撲(興行スポ―ツ)には”片ヤオ”という嫌な言葉があります。
これは興業のために、”勝たせたい選手”に本人がわからぬよう、周りが星を譲ることをいいます。
変化をさせない雰囲気作りはこの片ヤオそのものです。

来場所も、白鵬や稀勢の里が何の迷いもなく変化することを祈っています!
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早すぎるぞ、貴ノ浪

一昨日6月20日、元大関・貴ノ浪(現・音羽山親方)が急死したとの速報がテレビで流れたとき、私も本当に信じられない思いでした。
確かに貴ノ浪は現役当時から心臓が悪く、引退した翌々年の2006年には一時、生死の境を彷徨ったこともありましたけど、そこから復活してからは相撲協会の仕事だけではなく、最近ではテレビのバラエティ番組でも元気な姿を見せていて、もうすっかり体調もよくなったものだと思っていました。
しかし、翌21日の報道によると、貴ノ浪(こう呼びます)は昨2014年に胃癌が見つかって手術を受けていたというのです。
今回の急死は滞在先の大阪のホテルで、朝に心停止状態で見つかって、蘇生措置も間に合わなかったとのことですから、癌によってまた心臓の方も悪くなってしまっていたのかもしれませんね。
それにしても1971年10月生まれの43歳、まだまだ若すぎますよ…。

私は貴ノ浪のファンだったわけではありませんが、彼と武蔵丸の対戦だけは本当に大好きでした。
2人は同じ1971年生まれ、初土俵も同じく91年の九州場所、大関となったのも94年の初場所後のW昇進という、まさに奇縁。幕内対戦58回というのも大相撲記録です。
そんな58回の対戦のなかで、2人は昇進を争い、賜杯を争ってきたわけですけど、関係が変わってきたのは1999年、貴ノ浪に衰えが目立ち始めるのとは逆に武蔵丸は横綱に昇進してゆき、翌2000年には貴ノ浪は大関を陥落することとあいなりました。
でも、私はそこからの2人の対戦こそが記憶に焼き付いています。

武蔵丸の前に立った時だけ”大関の顔”になる貴ノ浪、そして武蔵丸もまた彼を同格の相手とみなし、激しく火花を散らす。
貴ノ浪は生涯で2つの金星を挙げていますが、それは両方とも大関陥落後に武蔵丸からもぎとったものです。
「あいつの前でだけは恥ずかしい真似はできない」といわんばかりの貴ノ浪の相撲、それを地位も肩書も関係なしに真正面から受け止める武蔵丸の度量、そんな取り組みはまさに男と男の戦い、そこに観客と視聴者は痺れたんです。
そして土俵上の貴ノ浪は勝っても負けてもどこか楽しそうな顔をしていました。心根が素直だったのでしょう。それがまた観る者の心をくすぐった。
好敵手がいることが、仕事を、人生を、こんなにも楽しいものにするのか。
貴ノ浪の相撲は土俵を超えて、ひとびとの心に訴えるものがあった思います。

そんな貴ノ浪は多くの関取を輩出し続けていることで知られる青森県の出身(三沢市)。
本場所では呼び出しが出身地をいうので、まさに郷土の誇りです。
ですが、私は前に青森市に遊びにいったとき、変わった経験をしたんです。
私は旅行先ではタクシーの運転手さんとの会話のなかで地元情報を探るのを常としているのですが、青森といえば大相撲ですから、当時大関として輝いていた貴ノ浪の話を振ったんです。
そしたら、運転手さんに「貴ノ浪は南部のひとだから」と素っ気なく返され、話はそこで終わり。

青森県は津軽地方(県西部)と南部地方(県南東部)で歴史的に対立があることは私も少しは知っていましたけど、現代でもそれがはっきりと残っていることには戸惑いました。
調べてみると両者の溝というのは相当に深く、方言や風習もだいぶ違うので、同じ県でありながら、赤の他人という思いが強いのかもしれませんね。
県ができて140年という長さを考えるとちょっと寂しいですけど…。

ただ、今回の貴ノ浪の訃報に際しては、青森県出身の力士や元力士たちがこぞってその”懐の深い”人柄を偲んでいるんです(東奥日報)。
津軽地方に属する弘前市の若の里と岩木山も、深浦町の安美錦も、板柳町の高見盛と追風海も。
これは貴ノ浪が青森県をひとつにする存在だったことの証左です。

失ってしまったものはあまりにも大きい。
けれども残してくれたものもまた大きい。
2メートルの巨躯と大らかな笑顔が忘れられません。
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