あくまで理事”候補”選挙

昨年の九州場所から続くゴタゴタのひとつの区切りともいえる理事候補選挙が今日2月2日(2018)年に投開票された結果、注目の貴乃花親方は落選となり、八角理事長体制が維持されることが決まりました。
貴乃花一門としては阿武松親方(益荒男)を当選させ、理事の椅子ひとつを確保したとはいえ、貴乃花親方がわずか2票しか得ることができず、その影響力の低下は避けられない情勢です。

ちなみに貴乃花親方は日馬富士暴行問題で「相撲協会に非協力的だった」ことを」理由に12月に理事を解任されたばかりということもあって、仮に理事候補選挙で当選していたとしても評議委員会で承認を拒否される可能性があるという憶測が流れていました。
そのため貴乃花一門では阿武松親方を第一候補にし、貴乃花親方は”自分の1票だけ”で立候補するという方針だったようです。
これは10人の理事枠に対し10人の候補では無投票になってしまうため、貴乃花親方が11人目の候補となることで投票を行わせ、投票権のある親方に対し、”いまの相撲協会についてなにかを考えさせるため”だったともいわれています。

しかし、投票結果を見ると、貴乃花一門は基礎票11を阿武松親方に8票、貴乃花親方に1票、残りの2票を一門と近しい関係にある山響親方(出羽海一門)に回していたようで、基礎票が5票しかなった山響親方は8票を獲得して見事当選しています。
ようするに貴乃花親方とその仲間たちとすれば、まずは阿武松親方と山響親方の席を固め、貴乃花親方には”隠れ貴乃花シンパ”の取り込みを狙っていたとしか思えません。
投開票の2日前にマスメディアを使って「貴乃花は自分の1票だけでも出る」という情報を流したのも、シンパの親方の男気に火を点けるのが狙いだったのでしょう。
そうしてどこかの一門を切り崩し、7、8票を得て貴乃花親方も当選すれば、理事会の勢力をこれまでの2→3に増やすことが出来るという算段だったはずです。

ところが蓋を開けて見れば、隠れ貴乃花シンパは1人しかいなかったわけです。
しかも、その1票もおそらく貴乃花親方と縁戚に当たる陣幕親方(娘が貴乃花親方の息子と結婚)でしょうから、貴乃花親方の志に賛同したのとはちょっと違う感じもします。
一門のなかでの”引き締め”もあったのでしょうけど、貴乃花親方を支持する声が上がらなかったことは私にも意外でした。九重親方(千代大海)や玉ノ井親方(栃東)の動きには注目していたんですけどね…。

この原因として考えられるのはやはり日馬富士事件での貴乃花親方の対応でしょうね。
確かに日馬富士はいき過ぎた指導をしてしまいましたし、なんらかの処罰が必要な事案でしたけど、果たして”廃業”が正しかったのかどうか。
貴乃花親方が視野を広げ、懐深く対応すれば、日馬富士は角界に残ることができ、相撲協会のイメージダウンも軽減したのではないか。
多くの親方がそのように感じていたのではないかと私は推察しています。
貴乃花親方は何事も白黒はっきりさせなくては気がすまない性質のようですが、それではなかなか人間社会は回らないのでしょう。

ただ、私はまだ貴乃花親方にチャンスがないわけでないと思うんです。
今回のあくまで理事”候補”選挙であり、正式に理事が誕生するには評議会で承認を受けなければなりません。
そして今回当選した10人のなかにはそこで拒否されそうな人物がいるではありませんか。
それは春日野親方(栃乃和歌)。
春日野親方は2014年に部屋で起きた兄弟子から弟弟子への傷害事件を事実上隠蔽していたんです。
この事件は刑事裁判となり、加害者は懲役3年・執行猶予4年の判決を受けているのですから、略式起訴で罰金50万円だった日馬富士事件と比べればどれだけ悪質だったかわかります。
しかも、相撲部屋で起きた事件なのですから、監督責任のある春日野親方は理事選に出馬する資格すらないはずです。

また、日馬富士事件の責任を取っていないといえば八角理事長もそうです。
日馬富士事件の一番の問題は、告訴され、警察の捜査対象となっていた力士を土俵に上げたことです。
こうのような反社会的行為は公益法人として絶対に許されませんし、天皇賜杯を争う土俵を汚したという意味でも許されることではありません。
日馬富士を本場所に出場させる最終判断を行ったのは八角理事長のはずですから、大きな責任があるわけです。
八角理事長は3ヶ月分の給与の返上という処分は受けましたけど、日馬富士の師匠である伊勢ケ浜親方や貴乃花親方が理事を辞任・解任されたのに比べればいくらなんでも軽すぎます。

評議員会は社会通念に則った判断をして欲しいものです。
それが大相撲改革の第一歩でしょうよ。
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兄弟関取といえば

引退する力士の多くが「土俵生活で一番嬉しかったことは?」と聞かれると、「十両に上がったことです」と答えるのはよく知られていますが、力士を育てる側の親方にとっても一番嬉しいのは弟子が十両に上がったときだといわれています。
そのせいか、昇進の記者会見においても、弟子と同席するのは十両昇進のときだけで、幕内や三役に昇進した際は
弟子ひとりにやらせるという親方も多いようですね。
十両からは”一人前”なのだから、そのあとはひとりでやれ、ということなのでしょう。

そんな十両昇進ですが、昨日1月31日(2018年)は春場所に向けた番付編成会議が行われ、新十両が決定しました。
なかでも注目を集めたのは、貴乃花部屋の貴公俊。
同部屋で双子の弟の貴源治がすでに十両で相撲を取っているということで、”双子関取”誕生となり、これは大相撲史上初の出来事だそうです。
一卵性双生児の2人は見た目もよく似ているので、十両土俵入りで一緒になったら面白そうですし、相星決定戦が行われたら盛り上がること間違いありません。

また、この双子は”相撲未経験”で、中学卒業後に貴乃花部屋に入門したというのも、最近ではなかなかお目にかかれない経歴です。
2人とも中学時代はバスケットの好選手だったそうですから運動能力が高いのは間違いなく、この5年で相撲を学び、肉をつけ、20歳で関取になったというスピード出世も、大いに期待を抱かせるところです。

そんな貴公俊は昇進の記者会見で、「嬉しいのが3割、来場所から15日になるので気を引き締めたい」と語り、弟が先に十両に上がったことについて聞かれると、「嬉しさと同時に悔しさがあった」と正直に答えていました。
話を聞いていると賢い好青年だという印象を受けますし、そのように育てたご両親と貴乃花親方の薫陶も立派なものだったことがよくわかります。
会見に同席した貴乃花親方も愛弟子の態度に「しっかりしているな」といって終始相好を崩し、本当に嬉しそうでした。
こういうのが大相撲や相撲部屋の古き良き伝統なのでしょうね。

…ただ、この記者会見にはある種の違和感がありましたよね。
だって”兄弟関取で弟の方が先に昇進”といえば、誰だって〈若貴兄弟〉を思い浮かべますぜ。
それなのに貴乃花親方も記者たちも一切そこに触れないのですからこんなにおかしなことはありません。
普通ならば貴乃花親方から「私も兄弟で切磋琢磨して横綱になった」という発言があるはずです。
貴乃花親方は”若乃花”という存在を自分の記憶と相撲界から抹消したいのでしょうか?
親方の満面の笑みの下に、兄弟の深い溝が感じられて、私は少しぞっとしたました。

貴乃花親方は部屋のHPにこれからの大相撲について、「古き良きものを残すために(中略)協会全体がひとつの家族となるべきだと思っています」というメッセージを載せていますけど、自分自身が兄や母と仲違いしているのでは説得力もないというものです。
そこにどんな理由があるのかわかりませんが、せめて表面上だけでも受け入れる度量を見せて欲しいものです。
最近のごたごたを見ていても、貴乃花親方というひとは、周りを”敵”と”味方”にはっきり分けすぎな気がします。
そういう姿勢では大相撲協会という大家族を引っ張ってゆけるとは思えません。
家族には敵も味方もないはずです。
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2横綱の休場にモヤモヤ

私の住む長野県では御嶽海の7連勝が大きな話題となっている平成30年初場所ですが、5日目に横綱・白鵬が、6日目には稀勢の里が相ついで休場することとなり、これで3場所連続の”ひとり横綱”状態になってしまったのですから、やっぱり寂しいですね。
ちなみに前の2場所では、そのひとりぼっち横綱の日馬富士と白鵬が優勝しているので、今場所は鶴竜かもしれませんね。調子良さそうですし。

そんな横綱の休場ですが、今場所の2人のそれはちょっとモヤモヤしたものを感じます。
まず、稀勢の里は今場所を含めて5場所連続の休場(全休は1)となったわけですが、場所前の横綱審議委員会による稽古総見で2勝6敗と調子が上がらず、北村正任委員長から「出ない方がいいのではないか。出処進退は問わない」という寛大というか、あまーいお言葉を頂戴したにも関わらず、強行出場しての途中休場というのは”横綱の責任”が問われる問題です。
このパターンはもう4回目ですぜ。

稀勢の里の相撲が脆くなってしまったのは昨年春場所に負った左大胸筋の負傷が主原因でしょうけど、まずはそれを治すことを優先させるべきでした。
横綱の責務というのは「土俵を守ること」とよくいわれますけど、それはただ単に出場するということではなく、多くの勝利を重ね、優勝争いをすることです。
弱い横綱には品格もなにもありません。

貴乃花や武蔵丸のケースを例に取ると、稀勢の里は次に出場した場所が”進退を賭ける場所”になるのは間違いありません。そこで思うような相撲が取れないときは引退です。
夏場所か名古屋場所で結果が出るのではないでしょうか。
いまの稀勢の里を見ていると、以前からの弱点である”腰高”がより酷くなり、体重の増やし過ぎと加齢からか足運びが鈍くなっているのも気になります。
7月3日に32歳になる力士に復活を期待するのは酷な話かもしれませんね…。

次に白鵬です。
初日に朝稽古で古傷である右足親指を痛めたのに加え、4日目の嘉風戦で今度は左足親指を痛めての休場ということになったわけですが、今場所は立ち合いのリズムがおかしく、怪我がなくても好成績は残せなかったことでしょう。
しかし、同情すべきはリズムが狂った原因です。
横審の北村委員長から「横綱らしくない」として、〈かち上げ〉と〈張り差し〉を禁止された白鵬は、今場所一度もそれを出すことがありませんでした。

横審というのは横綱の対して色々と苦言を呈する組織ですが、横綱の取り口について具体的に言及するというのはあまり記憶にありません。
当たり前ですけど横審は相撲の玄人ではありませんから、口出しをするにしても「所作を守れ」とか「ガッツポーズをするな」とかいう儀礼的な部分への指摘に限られていました。
たとえば3年前に鶴竜が”変化”を2度使って優勝したときだって横審はなにもいわなかったんです。
そのように、取り組みについては力士や親方(理事会)に任せる、というのが横審の立場だったはずです。
靴のまま土俵に踏み入ったような北村委員長の苦言に、私は大きな疑問を感じています。

そして、問題の発端である白鵬のかち上げや張り差しですが、これについては元横綱・若乃花(3代目)が昨年12月にテレビで語っていた、
「張り差しやかち上げをやると脇が空くんです。相手は普通、それで簡単に勝てるんです。逆にそれをやってくれた方が勝つんです。それで勝てないのは相手の力士に力がないということなんです。白鵬がわざわざスキをつくっているのに、そこを攻められないのが問題だと思います」
という言葉がすべてです。
実際、白鵬は同格の相手にはかち上げも張り差しもほとんどしません。
”その隙にやられる”からでしょう。
白鵬のかち上げや張り差しを封印させたいのであれば、対戦する力士たちがその隙をどんどん狙って行けばいいだけのことです。
横審も「禁止」をいうのではなく、他の力士の発奮を促すべきです。

また、白鵬のかち上げを「エルボーだ!」といって批難するひとがいますけど、ムエタイや総合格闘技のエルボーの映像をぜひご覧になってください。まったく違うものだということがわかります。
肘を構えて腰を捻って(入れて)相手に叩きつけるのがいわゆるエルボーです。
腰の動きはボクシングのフックと同じです。
これは本当に危険極まりない打撃技なので、禁止している団体も多いです。
白鵬にブーイングを浴びせるならば、腰が入ったかち上げをしたときにすべきでしょうね。

私は土俵のことは力士と親方に任せるという考えです。
もちろんファンの声を聞くのも重要ですから、その上で現場のひとたちが相撲に相応しいか相応しくないか判断し、
相応しくないのであれば、”全体として禁じ手”にすればいいだけのことです。
個人攻撃は品格のある行いではありませんよね。
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※実質的な禁じ手でいえば、張り手の威力を増すためのバンテージは巻けなくなりましたし、KO狙いのフック気味張り手もいまは誰も使いません。
そのように大相撲全体で不文律を作ることは可能なのです。

大相撲はそんなにご立派なものではない

早いもので、今年2017年も今日が大晦日。
この1年を振り返り、なにか書き忘れたことがあるかなあ、と少し考えたとき、思い浮かんだのは”大相撲”でした。

今年の大相撲は、まず初場所後に”2場所連続優勝かそれに準じる成績”という慣例を無視して稀勢の里が横綱になり、四横綱時代を迎えたはずなのに、その稀勢の里を始め、白鵬や鶴竜も怪我での休場が相次ぎ、複数の横綱による激しい優勝争いはひと場所も観ることができませんでした。
そんななか、初場所を途中休場した以外はずっと土俵を守り、大相撲の看板を背負っていたのが横綱・日馬富士。
満身創痍のなか、ひとり横綱の重圧に打ち勝って秋場所を制したのは特に立派でした。年間を通しての貢献度はナンバーワンだったはずです。

ところが、その日馬富士が九州場所前の巡業で暴力事件を起こして場所後に引退するのですから、まさに天国と地獄としかいいようがありません。
これは大相撲全体にもいえることで、九州場所まで全場所満員御礼だったのにそれが途切れたばかりか、渦中のモンゴル人力士や親方衆はワイドショーの格好の餌食となり、無秩序でダーティなイメージがどんどん膨らんで行きました。

また、一連の問題に油を注いでるのが貴乃花親方(理事)であることは言をまちません。
本人はいまだに説明をしてくれないのでなにを考えているのかはよくわかりませんが、いまの相撲協会に不信感と嫌悪感を持っていることは明らかで、理事会では対決姿勢を見せ、危機管理委員会にも非協力的。
貴乃花親方は黙して語りませんが、とにかく”いまの相撲協会は間違っていて、改革が必要だ”というのだけを態度で示し、マスメディアはその真意をあれやこれやと勘ぐって適当なことばかりを書いたりいったりするので、余計に混乱が増しているといった状況です。

この1ヶ月というもの、私も連日のように相撲記者やスポーツジャーナリスト、好角家の話を聞いてきました。
しかし、なんだかどれも少しもピンとこないんです。
それはなぜなんだろう…?と考えていてわかったことがあります。。
彼ら(彼女ら)は大相撲を随分立派なもののように語っているんですね。
「神事」だの「国技」だのと。
でも、それって本当なのでしょうか?
大相撲ってそんなに立派なものなんでしょうか?

〈相撲〉の起源といえば、古事記や日本書紀にあるように”力比べ”ですね。
純粋に競技として楽しんでいたといってもいいですし、〈出雲の国譲り〉のように勝者がなにかを手にすることもありました。
そして、各地の神社や宮中にも記録があるように、収穫を占ったり祝ったりするための〈奉納相撲〉というのも長い歴史があります。
数十年前の日本では、秋になると地域の神社で子供同士で相撲を取らせたり、力自慢の男たちが村(集落)の横綱を決める相撲大会をするのも珍しいことではありませんでした。
その姿はまさに〈国技〉といっていいでしょうね。

そして、その奉納相撲がより儀礼的になったものが〈神事相撲〉です。
形式が定まっていて、それに従って相撲の型を見せるというものですから、見えない神様と一人相撲を取ったり、2人で勝ち負けを最初から決めておいて何番も取るという場合もあります。
そこに競技性はなく、神様に対して人間が自分の力を示すことが本質なのでしょう。
ですから、大相撲のことを「神事」というひとは競技性を否定しているとしかいいようがありません。
神事相撲というのは悪くいえば八百長ですしね。

勘違いしてはいけないのは、〈大相撲〉は〈相撲〉の一形態であるということです。
日本には、奉納相撲があり、神事相撲があり、学生相撲があり、アマチュア相撲があるのです。
大相撲というのは江戸時代に成立した勧進(興行)相撲にすぎません。
大銀杏を結った力士たちが東西の別れ、櫓の下で行うという形はいまもそのまま残っていますし、化粧廻しや番付もその頃に生まれたものです。
人気力士は大名や商家のお抱えとなり、美々しく着飾り、広告塔のようにもなっていましたし、東西力士の土俵入りや横綱土俵入りも、神事でもなんでもなく役者の顔見世と同じでした。
つまり、大相撲というのは”興業と芸能の側面が強い相撲の一形態”なのです。
そんなにご立派なものではありません。
歌舞伎なんかもそうですけど、大相撲が大上段に構えている姿を江戸時代のひとが見たら笑っちゃうんじゃないでしょうか。

年末のすす払いではありませんが、作られた常識を頭のなかから取っ払って新年を迎えたいものです。
みなさん、よいお年を!
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責任を取った日馬富士、責任から逃げる相撲協会

昨日11月30日、横綱・日馬富士による暴行問題について調査している大相撲協会・危機管理委員会が中間報告を発表しました。
これは現場となった鳥取市内のカラオケ店にいた横綱・白鵬と鶴竜、照ノ富士と石浦、そして鳥取城北高校相撲部の関係者からの聞き取りを元に、暴行事件の状況や流れを危機管理委員会がある程度の事実として認定したものです。
ただ、残念ながら被害者である貴ノ岩からの事情聴取は出来ていません。これは貴ノ岩の師匠である貴乃花親方の意向のようです。

その調査報告書によると、まず1次会で白鵬が貴ノ岩に対し、9月に都内のバーで貴ノ岩が粗暴な言動をしたことに対して説教をしたところ、以前から貴ノ岩を可愛がっている日馬富士がそれをかばったとのことです。
ただ、白鵬のお小言は2次会でも続き、そのとき貴ノ岩が白鵬の話を聞かずにスマートフォンをいじっていると、今度は日馬富士がそれを注意。
ところが貴ノ岩が「彼女からのメールです」といって反省した様子を見せないと、日馬富士は「白鵬に謝れ」といいつつ平手で貴ノ岩の顔面を殴りつけての教育的指導。
しかし、貴ノ岩は反抗的な態度を崩さず、日馬富士を睨みつけたところ、怒った日馬富士は平手で滅多打ちにした挙句、カラオケのリモコン(ディスプレイと一体型になっている大きくて重いものと思われます)で殴りつけたそうです。
報道にあった酒瓶で殴ったということはなく、シャンパンボトルを手にしたものの滑り落ち、最後は白鵬が止めに入って暴行が終わったとのことでした。
暴行時の日馬富士の精神状態については、アルコールの影響もなく、記憶もしっかりしていたという評価が下されています。

つまり、危機管理委員会の報告した要旨というのは、「態度の悪い貴ノ岩を日馬富士が愛の鞭で指導したところ、行き過ぎてしまった」というものであり、日馬富士の暴力は、酔っていたわけでもなく、因縁をつけたわけでもなく、貴ノ岩の更生を願っての行為だったという認識を示したわけです。
これは日馬富士が引退会見(29日)で述べた「弟弟子が礼儀と礼節がなってないときには、それを正し、直し、教えてあげるのは先輩としての義務だ」という言葉とも一致します。
また、この報告書は協会の理事でもある貴乃花親方の目を通した後に発表されたものなので、貴乃花親方からクレームがつかなかったということは、事実関係は概ね正確ということなのでしょう。

このように、中間報告によって、当日なにがあったかはだいたいわかりました。
行き過ぎた暴行によって貴ノ岩が「全治2週間の頭部の裂創」を負ったわけですから、日馬富士はなんらかの罰を受けるのが当然です。
しかし、それは引退しなければならないほどのものだったのでしょうか?
当初の報道は「酔っぱらってビール瓶で殴打した」という残虐なものでしたし、怪我の程度も「頭蓋骨骨折」や「髄液漏れ」という重傷とのことでしたけど、診断した医師はあくまで「疑い」だとして、「12日からの本場所に出場しても問題ない」という見解まで述べていました。
暴力は確かにいけないことですけど、稽古場での”かわいがり”という暴力的なしごきが伝統である大相撲からしたら、日馬富士の行為はその延長ともいうことができるわけで、今回の問題を日馬富士個人の責任として終わらせるのは間違っているといってもいいでしょう。

そしてまた、責任を取るべきなのは日馬富士だけではないはずです。
暴行で告訴されている日馬富士を本場所の土俵に上げてしまった相撲協会は、天皇陛下から優勝杯を下賜されている団体としても、公益財団法人としても、許されざる罪を犯したといってもいいでしょう。
危機管理委員会の中間報告書にしても、”なぜ相撲協会が間違った判断”をしてしまったのかを克明に記すべきでした。
暴力問題を軽んじていたか、隠蔽しようとしていたかのどちらかなのは確実です。
つまり、07年の時津風部屋力士暴行死事件の教訓はまったく生かされていないということです。
日馬富士が横綱という最高位を捨てたのですから、相撲協会はそれと同様の罰を己に課さねばなりません。

メディアや有識者や相撲記者たちは”モンゴル会”や”貴乃花”を悪者にして問題を終わらせようとしていますが、相撲協会が正しい処理をしていたならば、この問題はここまで大きくなっていないのです。
九州場所の前に全てを公表し、日馬富士を謹慎させ、出場停止数場所なりの処分を検討している、とでもしておけばよかったわけです。
それなのにぐだぐだとやっているから、モンゴル人力士たちのイメージが下がり、貴乃花はおかしなひとになり、貴ノ岩は礼儀知らずになってしまったのです。

そして日馬富士のような素晴らしい横綱が引退に追い込まれた。
親方株を持っていない彼は日本を去ることになるでしょう。
引退後も角界に貢献したであろう有為の人材が失われ、無為の集団が残る。
今回の事件のダメージは本当に深い。
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かつしき

Author:かつしき
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