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京都アニメーションと一緒に

この7月18日(2019年)に京都アニメーションを襲った未曾有の凶悪放火事件は、犯人も重い火傷を負ったことで、2日経っても動機はよくわかっていませんが、わかっていることはただひとつ、どんな理由があったとしても決して許されない所業だということです。
身勝手に、何十人ものひとの、それまでの人生を、これからの未来を、奪う。
誰かの大切な家族や仲間を、奪う。
これは人間ではなく、悪魔の所業です。

私はこの犯人を同じ人間と思いたくない。
人間にこのような悪魔性があることを否定したい。
否定しなければ、人間に絶望してしまいかねない。

確かに、人間というやつは、自分に気に食わないことがあれば反発しますし、批判しますし、逆らおうとします。
暴力に訴える輩がいるのもまた事実でしょう。
しかし、そこには限度があると信じたい。
取り返しのつかない破壊にまで及ぶことがないと信じたい。

もちろん、世界を見渡せば、今回のような理不尽な犯罪がないわけではありません。
その理不尽が日常という地域すらあるくらいです。
ただ、日本人はそれを情報として知ってはいても、どこか遠いもののように感じていたはずです。
今回の京アニの事件は、その距離がぐっと近づき、リアリティをもって迫ってきました。
日本のどこにでもあるような住宅地、そのなかにある、これまたどこにでもあるような規模の会社。
特別なのは、京アニが日本のアニメーション文化の一翼を担う宝物のような存在だったということだけです。
働いていたひとたちも、作品やデータも、ノウハウやスタイルも、そこにしかないものです。
それを無残にも破壊した今回の行為は、文化へのテロでもあります。

日本はもはや理不尽が当たり前の社会になってしまったのでしょうか?
身勝手な輩が暗闇で獰猛な考えを膨らませ、それを解き放つ準備をしているのでしょうか?
だとしたら、我々は警戒を強固にしなければなりませんし、新たな法や制度の準備をしなければなりません。
それは未来を守ることでもあるんです。
我々はいま、なんてもない日々の大切さを痛感しています。

この”未来”と”日常”というのは、日本アニメでよく描かれる風景であり、そこには”希望”と”平和”というテーマが通底しています。
我々はそういう作品をいくつも観てきました。
絶望と戦ってこそのアニメーションだということを知っているんです。
京都アニメーションが再び力強く立ち上がって欲しいし、被害者も含め、それを国全体が支える日本であって欲しい。

日本でアニメが作られてから約100年、アニメは日本人の価値観に大きな影響を与えてきました。
いまこそそれを見せるときです。
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神奈川の逃走犯を助けたのは誰だ

この6月19日(2019年)から神奈川県全域を恐怖に陥れていた”逃走犯”ですが、昨日23日、ようやくその身柄が確保されました。
小さなお子さんがいらっしゃるご家庭などは心底ほっとしたことでしょう。24日月曜からは穏やかな一週間が始まりそうです。

それにしても、この事件は神奈川地検と県警の”失態”としかいいようがありません。
逃走犯・小林誠は、傷害や窃盗や覚醒剤取締法違反などで立件されていたものの、保釈申請が通り、神奈川県愛川町の自宅アパートに戻っていました。
そして2月に”実刑”が確定し、本来ならば自ら出頭し、収監されねばならなかったわけですが、小林容疑者はその要請に応じず、シャバに留まり続けていたため、地検と県警が実力行使に出向くことになったわけです。

各種報道を見ると、この小林容疑者な前科がいくつもある凶悪犯です。「人生の半分以上を刑務所で過ごした」と嘯いていたという話もあります。
そういう男が、4ヶ月も収監に応じていないなかで、それを強制執行しようとすれば、当然、激しい抵抗が予想されます。
すんなりついてゆくようやつだったら、もう刑務所に入っていますぜ。
予想通り、地検事務官2名と県警厚木署員5名に対し、小林容疑者は包丁を振り回しながらを威嚇したようです。
ただ、普通に考えれば、警察官が5名もいるのですから、制圧できるはずですし、そうせねばなりません。
逃がしてしまえば、刃物を持った凶悪犯を野に放つことになってしまいます。

ところが、小林容疑者はまんまと逃走に成功します。
警察官は”警棒”しか持っておらず、包丁を恐れて、手が出せなかったみたいなんです。
これには一般の多くのひとが驚き、ポカンとしたと思うんですけど、”拳銃”も”さすまた”を持ってゆかないんですねえ…。
警棒を持っていたのも2名だけとのことですし、逃げられるべくして逃げられたとしか思えません。
以前に出頭要請に出向いた際も、脅されたり、威嚇されてりしていたとの情報もあり、地検と県警の準備不足は厳しく糾弾されるべきです。

しかも、地検と厚木署は、逃走を許してから数時間、周辺住民にそのことを報せなかったというのです。
昼過ぎから夕方くらいまでの間ですから、子供の下校時間にも重なります。
なにかあったらどうするつもりだったのでしょう?
23日に会見を開いた神奈川地検の中原亮一検事正は「痛恨の極み」といって頭を下げていましたけど、謝るよりも、なぜこんなことになったのか、その理由をきちんと説明して欲しかったものです。
詳細の調査報告は後々出すといったって、”武装”や”周辺へのアナウンス”に関するマニュアルがあったのかなかったのか、あったとすればその内容はどういうものだったかくらいは、その場で話してもいいはずです。

また、この逃走事件の背景には、近年、保釈が認められやすくなっているという司法の状況があります。
日本は諸外国から「人質司法!」といって度々批判されることもあるので、裁判所も”人権重視”という世界の潮流に乗っかっろうとしているわけです。
ただ、そうなるとやはり、保釈後に実刑が確定した場合、小林容疑者のように、収容から逃れようとしたり、行方不明(遁刑者)になったりする人間が増えちゃっているんです。
まあ、当たり前ですよね。自ら粛々と刑に服するようならば、犯罪になど手を染めません。
しかも、保釈中に行方をくらましても逃亡罪に問うことはできないのですから(今回は公務執行妨害)、そりゃ逃げますぜ。
現在、遁刑者は全国に26名いるとのことです。
社会全体のためを思えば、”性悪説”が正解なんです。
保釈するにしても、罪状を見ながら厳しく審査するべきです。

ちなみに、小林容疑者の自宅アパートからは覚醒剤を打つために使ったと見られる注射器が押収されています。
小林容疑者(被告)の保釈を認めた神奈川地裁も、その条件やそれに至った経緯を説明すべきですね。
この逃走事件の責任の一端は、間違いなく地裁にもあります。
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川崎市登戸の事件に思う

昨日(2019年5月28日)の朝に起きた川崎市の無差別殺傷事件は、小学生とその保護者がスクールバスを待つという日々の何気ない瞬間が狙われただけに、社会に大きな恐怖と不安を与えました。
これは日常を破壊するテロ事件といっていいでしょう。
犠牲となられた方々とそのご家族に対しては、日本中が”他人ごとではない”と感じたはずですし、だからこそ強い同情と連帯の気持ちを寄せたはずです。
私も心からのお悔やみを申し上げたいと思います。

今回は犯人が凶行後すぐに自殺したせいで動機はいまだ不明ですが、川崎市内の自宅からわざわざ電車で犯行現場にやってきていることから、スクールバスを待つ〈カリタス小学校〉の生徒と保護者を狙ったことは、おそらく間違いないと思われます。
バスの発車時刻も知っていたことでしょう。残忍で計画的な犯罪です。
メディアに出ている専門家は、犯人の行為を〈拡大自殺〉と解説していますが、小学校を狙ったケースでいえば、やはり01年の池田小事件が思い出されます。
この犯人は自殺はしませんでしたけど、”死刑を覚悟”していたことから、拡大自殺と解釈されています。
両方とも下劣極まりない考えをもとにした、卑怯極まりない犯罪です。

そして、我々が無力感を覚えるのは、今回の事件が児童を狙った犯罪への対策の隙間を縫ったものだということです。
池田小事件以降、学校現場では不審者対策に力を入れ、出入り口のチェックを厳しくするだけではなく、さすまたや防犯スプレーなどを準備し、警察関係者から防犯訓練を受けているところも少なくありません。
また、近年増えている登下校時を狙った犯罪防止のため、国は集団登下校やスクールバスの利用を推奨しています。
犯罪が起こる度に日本社会は努力してきたんです。
ところが、この川崎の事件では、学校の外、スクールバスを待っている時間が狙われたわけです。
これでは既存の対策は効力を発揮できません。
もう一度あらたに対策を練る必要があるといっていいでしょう。

その対策として、いまメディアで語られているのは”警備員”です。
プロの警備員を雇ったり、退職警官などにボランティアを頼むという施策というわけです。
しかし、ひとを雇うにはお金が要りますし、ボランティアは必ずしも成り手がいるわけではなく、危険保障の面でも問題があります。
お金のある私立学校や自治体ならば、ある程度用意できるでしょうけど、全国をカバーできるとは思えません。

現実的に出来るのは、抑止力を上げることです。
今回のカリタス小学校では引率の教頭先生がバスの乗り口にいたそうですが、もちろん”素手”だったようです。
こういう場合に武装している先生はいないでしょうし、素手で刃物を持った人間に立ち向かえともいえません。
ただ、バスの運転手は児童が襲われたのを見て、用意してあった”警棒”を持ってバスを降り、犯人を威嚇し、追い払ったというのですから、これは本当に勇気ある行動でした。
この運転手さんの果断さがなければ、犠牲者がもっと増えていた可能性もあります。
その勇気を後押ししたのは”警棒”だと思うのですけど、その所持はマニュアルなのか運転手独自の判断なのかわかりませんが、万が一のときにやはり頼りになるということです。

そして、武器にはそれを見せるだけで”抑止効果”があるともいわれているんです。
外国なんかで厳戒態勢のとき、兵士が必要以上とも思えるような大きなライフルを持っているのもそのためです。
日本では銃は携帯できませんが、引率の先生が黒光りする警棒や派手な防犯スプレーをこれ見よがしにぶら下げていたら、一定の抑止力になるはずです。
武器を持つというのは、戦う意思の表れでもありますからね。
”先生の働き方改革”が叫ばれる昨今ですが、実際に武器で抵抗するかどうかは別にして(逃げても私は責めません)、威嚇のための武器携帯は考えてみるべきだと思います。
また、大人数を引率する際は複数の先生を配置したいですね。

もはや日本では児童や学校を狙った犯罪は珍しいものではなくなってしまいました。
今回の事件で明らかになったのは、そういう現実を受け止め、社会の意識を改革しなければ防衛できない段階に入ってしまったということです。
各地で真夏日を連発する今年の5月ですが、背中に寒いものを感じます。
せめて、子供たちの背中だけは大人が守りたいものです。
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登場人物が横文字でも、ここはやっぱり日本

保釈中のカルロスが別件で逮捕され、20日間勾留されていたピエールが保釈された。

こう書くとどこの国のニュースかよくわからなくなりますが、昨日4月4日(2019年)の日本のマスコミ各社は朝から大忙しだったようです。
ピエール瀧被告は3日の段階で保釈請求が通っていたので、各社とも準備万端だったでしょうけど、カルロス・ゴーン被告の逮捕はなかなか想像がつかなかったはずです。
ゴーン被告は今回、〈オマーン・ルート〉とやらいう、前に逮捕された事件とは別件とはいうものの、事件全体としては”日産への特別背任”であり、厳しい条件の下で保釈されていたわけですから、在宅起訴という形でもよかったのかもしれません。
それなのに検察は衆人環視のなか身柄をしょっ引くのですから、かなり好戦的な態度です。
近々開かれる予定だったゴーン氏の記者会見が中止になったことも含め、”嫌がらせ”という意味もあるのでしょう。
これにはゴーン被告の弁護人も「人質司法だ!」と口を極めて非難していましたが、法の正義を人権より遥か上に置いているのが日本の検察というものです。
今後もゴーン被告は検察によって残りの人生を削り取られてゆくことでしょう。
日本の司法ではよく見る光景です。

一方、シャバに戻ってきたピエール瀧被告はというと、まるで風呂上がりのようにさっぱりした顔をしていましたよね。
コカインが抜けた状態の彼の容貌は普通のおじさんそのもので、芸能人オーラも抜けてしまったのかもしれません。
「私の反社会的な行為で多くの皆様にご迷惑、ご心配をかけ、まことに申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げた瀧被告は、どこか達観しているように見えました。
裁判の行方や、今後芸能活動が続けられるかどうか、台無しにした仕事の賠償金をどう支払うのか、などなど悩みは尽きないでしょうが、ここまで来ると考えても仕方ない、という心境なのかもしれません。

そんなピエール瀧被告の出演作でいうと、奇しくもこの日、映画『居眠り磐音』(松竹)のプレミアムイベントが開催されたとのことです。
瀧被告は重要なキャストだったものの、奥田瑛二さんが代役となり、突貫作業で撮り直したというのですから、出演者・スタッフのがんばりは並々ならぬものがあったと思います。全国ロードショーも予定通り来月17日からだそうです。
興業面でも、努力が報われるといいですね。

それとは逆に、なんの努力もなく、今日4月5日に封切られたのが『麻雀放浪記2020』(東映)です。
『居眠り磐音』と同じく、瀧被告が重要キャストで出演していたものの、こちらはなんの手直しもせずに公開する選択をしました。
配給元の東映や白石和彌監督は「作品に罪はない。映画は鑑賞の意志を持ったお客様が来場して鑑賞するというクローズなメディアだからテレビドラマやCMとは違う」との説明をしていましたが、はたしてこれにどれだけの説得力があるでしょう?

ちなみに、瀧被告の出演作をお蔵入りにするのかどうかについては、色んなメディアがアンケートを取っていて、「お蔵入りしなくてもいい」というのが6割ほど、「お蔵入りすべき」というのが2割ほど、「どちらともいえない」も2割というのがだいたいの結果だと思います。
これだけ見ると世論は割と寛容です。

…ただ、このアンケートってちょっとおかしいですよね?
”どのくらいの期間お蔵入りにすべきか”というのがないんですもの。
芸能人の薬物事件は過去にも数えきれないくらいありましたが、その出演作品の扱いはというと、やはりすべてが”自粛”となっています。
しかし、しばらく経てば、また事件を起こしたタレントも仕事復帰し、新しい作品に携わったり、過去の作品の再放送があったりという流れになるものです。
先日亡くなったショーケン萩原健一さんもそうでしたよね。
日本は近代国家ですから、刑期や執行猶予期間が終えたひとを、いつまでも受け入れないわけではありません。
多くの日本人はある程度の寛容さを持っています。

しかし、今回のピエール瀧被告のように、裁判も終わってもいないうちから作品が公開されるというのはいかがなものでしょう?
”犯罪行為が宣伝になる”という側面も含め、私はこれに反対です。『麻雀放浪記2020』は、アウトローを描いた作品だからこそ、よけいにそう思います。
もちろん、私だって永遠に公開するなといっているわけではありません。
刑が確定した後、相応の期間を待って、公開すればいいのです。

ところが、東映は公開を延期しませんでした。
会見ではなんやかんや理由を並べていましたけど、それはいますぐ公開する理由にはなっていません。
時期を待ったってよかったはずです。
それをしなかったのは、”商売”のためですよね?
撮り直せばお金がかかる、延期すれば旬が過ぎる、それだけのことです。

また、テレビを中心としたメディアも「作品に罪はない」といって東映を応援していますけど、日本の映画は色んなメディアが制作に関わっているのが大半なせいでしょうし、もっといえば日本は〈クロスオーナーシップ〉で各メディアが資本的に結びついてズブズブの関係になっているせいです。

カルロスだのピエールだのといっても、やはりここは日本なのです。
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ピエール瀧逮捕、欧米を真似ればいいというわけではない

ピエール瀧さんといえば、90年代の初め頃に〈電気グルーヴ〉の一員として世に出てきたと思ったら、00年代からは役者としての活躍が目立ち始め、さらに10年代からはバラエティ番組の露出が増えたことで、最近ではすっかり売れっ子マルチタレントとしての地位を確立していました。
CMも含め、テレビで観ない日がないといっていいと思います。
そんな人物が”コカイン使用”で逮捕されたのですから、3月12日(2019年)の夜はメディアがひっくり返るような大騒ぎでした。
天国から地獄というのか、とにかく一夜にしてその立場が一転したといっていいでしょう。

日本では芸能人の犯罪が発覚した際は、出演中の作品の放送・公開が中止になったり、販売されているものが出荷・配信停止になったりするのが定例になっていますから、いままさにピエール瀧容疑者はメディアから姿を消しつつあります。
見られるのはワイドショーとニュースだけといっていいでしょう。
ピエール瀧容疑者は出演中のバラエティやドラマがたくさんありますし、公開を控えた映画や電気グルーヴとしてのツアーもあるので、逮捕の影響は計り知れません。
作品やツアーを待っていたファンが心底ガッカリしたというだけではなく、中止や撮り直しによる経済的損失もかなりの額になりそうです。
今後、ピエール瀧容疑者は罪を償うと同時に(本人もコカイン使用を認めているとの報道)、その損害を賠償せねばならなくなることでしょう。

そんななか、一部の有識者や芸能人がピエール瀧容疑者の作品が”お蔵入り”することを強く批判しています。
「薬物使用には被害者がいない」「作品に罪はない」というわけです。
まあ、そういう考え方もあるかもしれません。
しかし、犯罪は犯罪ですし(薬物使用から他の犯罪に繋がるケースも)、逮捕されたばかりの人間の姿や声が、メディア、特にマスメディアで普通に露出していたら、倫理的におかしいと感じるひとが一定数いるのもまた事実です。
むしろそちらの方が正論といっていいでしょう。

むろん、正論をいうひとたちだって、永遠にお蔵入りにしろとまでは思っていないはずです。
日本語には”ほとぼりが冷める”という絶妙ないい回しがあります。
ある程度の時間、たとえば刑期や執行猶予期間が終われば許してくれるひとも増えるのではないでしょうか。
ただ、テレビやラジオといった、不特定多数に向けた一方的なメディアの場合は、かなり長い時間の封印が必要かもしれません。
”見たくない人物”を突然見せられるというのはある意味暴力ですからね。

もちろんこのことはピエール瀧容疑者から仕事や居場所を奪うわけではありません。
音楽にしろ芝居にしろ、ファンを対象とした会場で行う分には誰も文句をいわないはずです。
芸能というのは、演じるひととお金を払うひとで成り立っているわけですしね。
もっとも、その公演の宣伝にマスメディアを使ってしまえば話は違ってきます。
ピエール瀧容疑者のケースでも、「映画は観たいひとが観るだけだからいいじゃん」という意見があるようですが、マスメディアでの宣伝や街中の看板やポスターというのは、不特定多数に向かってしまうので配慮が必要です。
表に立つ職業いうのは、高い地位や報酬の代わりに、重い責任が伴うのを忘れてはなりません。

ところが、マスメディアではそういう責任感が希薄のようです。
テレビの情報番組などではピエール瀧容疑者を擁護する雰囲気が強いように感じられます。
その理由はおそらく、ピエール瀧封印による経済的損失でしょう。
日本ではドラマだけではなく、映画の制作にもテレビ局が絡んでいますからね。

そして、そんな擁護のなかでちょっと気になるのは、有識者や薬物専門家なるひとが、「日本では薬物使用者は犯罪者として裁かれるが、欧米では被害者や病人として扱われる」と話していることです。
薬物使用者は逮捕するのではなく保護すべきであり、日本も欧米を真似るべきいうニュアンスです。
優しくて、もっともらしい意見ですね。

ただ、ここに見落とせない事実があります。
大麻・覚醒剤の生涯経験率でいうと、”先進的”な欧米諸国のそれは日本の10倍~20倍もあるんです(厚労省調べ)。
欧米と比べると日本は麻薬使用者が少なく、”奇跡の国”と呼ぶひともいるくらいです。
これは”使用者を犯罪者として取り締まっていること”と無関係とは思えません。

麻薬は世界的な問題ですが、日本が欧米を真似るのではなく、欧米が日本を真似た方がいいのかもしれません。
それにあわせて、ピエール瀧容疑者も瀧正則か畳三郎に改名して再出発したらどうでしょう。
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プロフィール

かつしき

Author:かつしき
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