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『真田丸』第50話、最終回(後)

(続きです。)
NHKの大河ドラマは、ある程度史実に則るのが不文律ですから、『真田丸』がスタートしたときには、最後は幸村が負け、大坂城が落ちることはわかっていました。
しかし、私は、あの三谷幸喜さんの脚本なのだから、普通の最終回になるわけがないと思っていたんです。
史実とはちょっと違いますけど、伝承として、家康は大坂の陣で幸村に追い詰められた挙句に戦死してその後は影武者だったという説や、幸村は秀頼らとともに大坂から九州に落ち延びたという説なんかがありますよね。
『真田丸』もそのあたりの俗説を使ってアレンジしてくる可能性があると思ったわけです。

ところが、この最終回は案外普通でした。拍子抜けするほどに普通でした。
通説と違うのは、佐助に窮地を救われた幸村が、安居神社で追っ手を返り討ちにした後で切腹に臨んだところくらいでしょうか。「望みを捨てぬ者だけに道は開ける」という言葉通り、往生際の悪い最期でした。
ただし、この幸村の切腹と、秀頼や淀殿の最期というのは作中では明確に描かれてはいません。
淀殿のいっていた「生き延びる策」というのもはっきりとわからないままでしたし(千姫に和睦交渉を頼むことがそれのようでしたけどその場面はなし)、ひょっとしたらスピンオフの構想があるのかもしれませんね。
わからないといえば、千姫を家康と秀忠のもとに送り届けた”きり”が身を翻すように去った後、どこへ行ったのかも気になるところです。一応”ヒロイン”だったのに、最後が描かれないというのは不憫としかいいようがありません…。

そのように”もやもや”したものが残った『真田丸』最終回ですが、私には大きな不満も残りました。
それは秀頼が幸村を疑い、出馬に至らなかった過程です。
まずは徳川方が撒き散らした噂で疑念が生じ、徳川のスパイであった厨頭・大角与左衛門の讒言が後押ししたという形でしたが、大角与左衛門が豊臣を裏切った理由が「娘を太閤に手籠めにされ、その後、娘と妻が命を絶った…」というのは、あまりにも取って付けた話ですし、そのような恨みの種を持っている人間を厨頭(毒を盛る可能性あり)として雇い続けるなんて、無理筋としかいいようがありません。
大坂夏の陣において、”秀頼はなぜ出馬しなかったのか?”は、豊臣家の内情を描く上でも、豊臣秀頼という人間を描く意味でもとても重要です。
そしてそこを突き詰めてゆくと、必ず”愚か者”が見つかるわけす。
この『真田丸』では、その愚か者を特定しないために、”大角与左衛門の恨み”という設定を置き、その理由を語らせることで”悪人”をも作らず、豊臣家の最期をぼやけたものにしてしまいました。
これは本当に残念です。

また、その”ぼやけた”でいえば、幸村が家康の命を狙った腑に落ちません。
戦闘開始当初の幸村は、家康の首を取ることで和睦交渉を豊臣有利に導くという理由を語っていました。
ところが、幸村が単騎で家康本陣に突っ込んだときは、すでに大勢が決し、大坂城は落城寸前。
家康が討たれようとどうなろうと和睦交渉すら不可能な状況だったわけです。
そこで幸村の口をついて出てきたセリフが、「先に死んでいった愛する者たちのためにお前を殺す!」。
真田幸村を演じる堺雅人さんの熱演に私もぐっときましたけど、冷静になると、幸村がなんで家康を狙っているのかもうわけがわからなくなっています。
幸村は大坂入城の際にも、他の牢人衆からなぜ豊臣方についたのかを問われ、「私にもわかりませぬ」と答えていましたけど、幸村の人物像は最後まであやふやだったように思えて仕方ありません。
なぜ豊臣方についたのか、なぜ家康の首を狙ったのか、それだけは明確にすべきでした。

…と、最終回だというのに何だか厳しい感想になっちゃっていますね。
ただ、これも一年間一生懸命視聴し続けてきたからこその期待の裏返しです。もっといい終わり方があったんじゃないかと思って納得がいかないんです。
『真田丸』は49話まで全て漢字二文字のサブタイトルがついていましたけど、この最終話は”無題”とされ、チーフプロデューサーいわく、「視聴者のみなさんが副題を付けてください」とのことでした。
ならば私はこの最終回に『希望』というサブタイトルを付けたいと思います。
これは本当の最終回が観たいという希望です。
スピンオフを待ってます。

真田幸村を愛する者たちのために!
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『真田丸』第50話、最終回(前)

今年(2016年)1月10日に始まった『真田丸』もこの12月18日でついに最終回。
前の週に後藤又兵衛が討ち死にし、長曾我部盛親も敗走し、追い詰められた豊臣方では、残された真田幸村隊と毛利勝永隊、明石全登隊が徳川家康の本陣を狙う作戦へと切り替えます。
主戦力をそちらに振り向け、総大将である豊臣秀頼が出馬することで、その威光に徳川方の豊臣恩顧の大名たちが怯んだところで一気に家康の首を取るという算段です。
拠り所であった大坂城は堀が埋められ、敵は味方の数倍の兵力。まともに戦っても勝ち目はありません。
家康を殺すことで和睦の談判を豊臣有利にし、実質の勝ちを拾うつもりの幸村は、淀殿へ、「大坂を捨てる代わりに四国全土の主に。万に一つ私が死んだ場合は千姫さまを和睦のご使者に。望みを捨てなかった者にのみ道は開けるのです」といい置いてから戦場に赴くのでした。

しかし、その決戦では、秀頼が出陣する前に毛利勝永隊の兵が敵方から鉄砲を射かけられたことで先走り、「こうなればもう仕方なし」と勝永と幸村は戦闘開始を決断。
まずは毛利隊が次々と徳川軍を蹴散らし、南の家康本陣へと突き進みます。
幸村隊も毛利隊が作った混乱に乗じて家康本陣を目指し、途中真田本家隊の矢沢三十郎頼幸らと衝突しますが、「小者は相手にするな!」と一蹴し、その勢いは止まりません。
この豊臣方の思わぬ攻勢に家康本陣は大混乱となり、馬印を忘れるほど慌てて本陣を放棄した家康は、ほうほうの体で遁走しながら、「もうよいここまでじゃ」と腹を切ろうとして家臣に止められる始末。
東では徳川秀忠軍も大野治房に攻められて劣勢。秀忠も”逃げ恥”を晒します。

こうして状況が豊臣有利となると、軍監の大野治長は秀頼の出馬を促すためにいったん大坂城に戻ることとしますが、そのとき豊臣の馬印である”千成瓢箪”も戦場を離れたことで、豊臣方の兵たちが「秀頼公が逃げた」といって大いに動揺してしまいます。
しかも、大坂城内では「真田幸村が徳川と内通している」という噂が立ち、徳川のスパイである大角与左衛門(厨の主)がそれを裏付ける証言をしたことで秀頼に疑念が生じ、大蔵卿局(乳母)の反対もあって出陣に踏み切れません。
そうこうしていると、大角与左衛門が城に火を放ち、これを遠目で見た家康は、「好機じゃ」といって反撃を号令。
これで完全に潮目が変わりました。

こうなると幸村隊も毛利隊も押し返され、その後詰であった明石隊も瓦解。
幸村を戦場から逃がすために堀田作兵衛が仁王立ちで鉄砲の的になるなど、もはや敗走といっていい様相を呈します。
ここにきて大坂城では秀頼が「これより討って出る。私とて太閤の息子である」と出陣を決断しますが、ときすでに遅く、淀殿から「生きる手立てはまだあります。私には生き延びる策があります」といわれたことで城に留まることに。
やがて大坂城に敵が乱入すると、高梨内記が老骨に鞭うっての槍働きで秀頼らを守ろうとしますが、力及ばず崩れ落ち、昌幸の位牌を抱きながら息絶えます。
また、立ち往生したはずの堀田作兵衛も、何をどうしたのか大坂城へ舞い戻ると、壮絶な立ち回りの後、自ら耕した中庭の畑で、娘のようにして育てた姪を思いながらこと切れるのでした。

豊臣方の敗北が決定的となったその頃、幸村は単騎で家康本陣への突撃を慣行。
馬上筒で家康を狙いますが、一発目が逸れ、徳川家臣たちが家康の前に立ちふさがったことで、万事休したかに思われましたが、家康は「手を出すな」と家臣に命じると、幸村の前に堂々と五体を晒し、「殺したいなら殺すがよい。されどわしを殺したところで何も変わらぬ。徳川の世はすでに盤石。戦で雌雄を決する世は終わった。お主のような戦でしか生きる証を立てられぬ者の生きてゆける場所はない!」と大上段からの大正論。
これに対して幸村は、「わかっておるわ!」と絶叫すると、馬上筒を構えながら、「先に死んでいった愛する者たちのためにお前を殺す!」と大感情論。
そうして轟音が響き渡り、弾の行方が気になるところでしたが、その鉄砲の音は父を救うために駆け付けた秀忠隊のもの。
腕を打たれた幸村は引鉄を引くことができませんでした。
そうして幸村は敵兵に囲まれて絶対絶命のピンチに陥るわけですが、そこに割って入ったのは手飼いの忍び・佐助。
佐助の張った煙幕で敵を混乱させ、死闘の末、どうにか2人でその場からの撤退に成功します。

しかし、激しい戦いのため、幸村の体はボロボロ。
安居神社の境内で鎧を外し、佐助とともに体を休めているところを徳川兵に見つかってしまいます。
名前を誰何され、「真田左衛門佐幸村」と答えた幸村は、大人しく首を差し、「わしの首を手柄にされよ」という有名なセリフをいうかと思いきや、懐の短刀を抜いて鮮やかに敵を切り伏せるのですから、視聴者も虚をつかれたことでしょう。
ただ、幸村に残されていた力はこれで全て尽きたのか、「ここまでのようだな」と切腹の覚悟を見せ、佐助に介錯を促します。
そこで佐助の長年に渡る働きを労い、「いくつになった?」と優しく声をかけますが、「五十五でございます」という佐助の返答にあんぐり(このときの幸村は五十手前)。
この緊迫の場面でくすり笑いを差し込んできたのは喜劇作家・三谷幸喜ならではですね。
そうして腹を切ろうとする真田幸村。
最後にその瞳の奥に映るのは”愛するひとびとの顔”でした。

その後、場面は大坂から上田に帰る途中の真田信之に。
たまたま同道した本多正信(家康の右腕)の領地に立ち寄ると、正信がずいぶんと領民に慕われているのを見て、その極意を訊ねます。
「無理をさせず、楽をさせず、年貢だけはきっちりと取る。その上で領主たるものは決して贅沢をしてはならぬ…」、正信がその後の徳川幕府の方針そのままを語るのを、信之が納得した様子で頷いていると、そこに大坂からの報せが。
信之が大坂城の落城を感じたそのとき、腰から下げた六文銭のお守りが何かと共鳴します。

「これより七年後、信之は松代へ。松代藩は徳川幕府を倒すきっかけとなる佐久間象山を生む」
2016大河ドラマ『真田丸』は、そんなナレーションで締めくくられました。
(粗筋を追うだけで長くなったので後編に続きます。)
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『真田丸』第49話、『前夜』

牢人たちが武器を買い集め、堀を埋め戻したことで、徳川家康に再戦の口実を与えてしまった豊臣方。
いましばらく時を稼ぎ、要害の完成を待って、徳川方を迎え討つつもりだった真田幸村も、こうなればもう戦は避けられぬ、裸城では籠城も無理なので、軍議で討って出ることを提案しますが、他の牢人衆は否定的。
後藤又兵衛や毛利勝永は籠城を主張し、「敵の本隊は必ず南から攻めてくる」といって、天王寺を決戦の場とする策を披露します。そこには天下の名城大坂城を枕に華々しく散りたいという思いが見え隠れしていました。
もちろんその思いはみな同じ。豊臣譜代の大野治長らも、そして幸村もそれに賛同し、いよいよ豊臣方の最後の策が決まったのでした。

そんな折、幸村からの書状に家康と刺し違えて死ぬ覚悟を見た兄・真田信之は、弟を説得するために大坂へ出向くことを決意。
それを見送る妻・稲は「真田家に類が及ばぬよう身分を隠す」ことを厳しくいうと同時に「必ず生きて帰ってきてください」と夫を愛する女の一面を見せ、薬を調合して持たせてくれた姉・松は亡きばばさまを偲ばせる耳の聞こえないふり、側室のこうは六文銭のお守りを渡しながら咳をし、最初の頃の病弱設定を振り返るのでした。
最終回を前にした49話らしい演出には、なんだかちょっと寂しくなっちゃいますよね。
ただ、信之は徳川方から幸村を調略するために遣わされた叔父・真田信尹と大坂まで同道することとなったのですが、関所のようなところを通る際、父・昌幸のライバルであった室賀正武の息子に「真田のもの?」と疑いをかけられそうになったそのとき、「黙れこわっぱあ!」と大泉洋さんが西村雅彦さんの名セリフを真似たのは笑っちゃいましたね。

そうして1615年4月29日、「この戦に勝って大名になる」と功名心に逸った塙団右衛門が早々に討ち死にして”大坂夏の陣”が始まると、幸村ら5人衆はいつものように大坂城の厨で会議を行い、後藤又兵衛と明石全登が道明寺で徳川本体を迎え撃ち、その後詰に真幸村と毛利勝永が控え、東は長曾我部盛親と豊臣譜代の木村重成が当たることを決定します。
しかし、塙団右衛門の遺体を見た淀殿が「いずれはみなもこの横に並ぶのですか」と不吉な言葉を残したり、後藤又兵衛に徳川方からの調略がかかったりと大坂方の空気はなんとも重苦しい状態。

調略といえば、幸村も叔父・信尹から「信濃一国」を条件に裏切るよう説得されますが、薄笑いを浮かべるだけで一顧だにしません。家康の嘘を見抜いていたからでしょう。
それを見た信之は「わしが何があっても命を助ける。また晴れて酒を酌み交わそう」と情に訴えますが、幸村はこれにも首を縦に振りません。
そして、「兄上、ここで酒を酌み交わしたくございます」と懇願しますが、信之は「これは今生の別れではない」と拒否してその場を立ち去り、信尹は「生きたいように生きればよい」と、若年の頃から自分を慕っていた甥へ、最後の助言を与えるのでした。

一方、徳川方は諸大名が上方に集結し総兵力30万を超える勢い。
しかも、大坂方の作戦は筒抜けで、家康は本体を東に回し、南は伊達政宗に当たらせます。
これで伊達3万5千が大和路から道明寺へ向い、後藤又兵衛は討ち死。
調略をかけられた疑いを晴らすために血気に逸らぬよう幸村から諭されていた又兵衛でしたが、最期はやはり思い切って討って出たのでした。
また、東の八尾・若江で10万を超える徳川本隊に攻められた木村重成ですが、自分たちがここで退けば「後藤隊が孤立する」といって踏ん張り、壮絶な最期。長曾我部盛親は戦場から離脱。

スパイだった織田有楽斎を追放したはずなのに大坂方の情報はだだ漏れ。
実は本当のスパイは厨の主である大角与左衛門。
これにはびっくりでしたね。

後藤隊が壊滅したことで、幸村と毛利勝永は大坂城へ反転。
その際、追い打ちをかけてこない伊達正宗を見た幸村は、昔の厚誼もあって、妻子を伊達の陣へ逃がす決断をします。
そして幼馴染のきりには千姫を大坂城から脱出させるよう指示し、自分は「明日決戦を挑むことにした」と打ち明けます。
きりは自分も千姫を徳川方に送り届けたあと、再び大坂に戻って淀殿に従うといい、「源次郎さまがいない世にいてもつまらないから」とその思いを吐露。
それを見た幸村は力の限り抱きしめ、熱いキッス。
いよいよそのときが迫ってきました。

このような49話『前夜』だったわけですが、登場人物たちに最後のお別れのようなシーンがあり、豊臣方の将も次々に倒れてゆくのですから、なんだか観ていて辛いものがありました。
真田幸村を主人公にした『真田丸』ですから、こうなることは第1話『船出』からわかっていることなのに、いざそのときを前にすると、運命の厳しさに憤りすら覚えてしまいます。
そしてその最終話は明日12月18日放送。
その前夜にこの49話を振り返ることで、よりその思いが強くなってきました。
観るのが怖い…。
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『真田丸』第48話、『引鉄』

いわゆる大坂”冬の陣”は和睦に終わるも、これが偽りの休戦にすぎず、すぐに徳川方が攻めてくると考えた真田幸村ですが、彼我の戦力差は明らかで、合戦では勝ち目が薄いことから、配下の忍び・佐助を刺客に放ち、家康の首を狙います。
そして佐助が京へと引き上げる家康を陣所で仕留めたかに見えたものの、悔しいことにこれは影武者。
幸村はさらに家康を狙うよう佐助に命じますが、こうなれば次の戦は必至。
そこで幸村が建てた策は、大坂城の南に砦を築き、茶臼山と岡山も占拠して巨大な防衛ラインを作り、そこで徳川軍を迎え討つという大掛かりなもの。
それを構築するためには「時間がかかる」と豊臣秀頼に説明した幸村は、いま大坂にいる大量の牢人たちをそのまま戦力として留め置くよう進言し、秀頼はこれを了承するも、血気にはやった牢人たちのせいで大坂城は落ち着きません。
そこで幸村は牢人たちが家族を大坂に呼べるよう秀頼に頼み、城は一時の平穏を迎えるのでした。

その一時、幸村は徳川方についた真田本家の陣を訪ねます。
そこで幼馴染の矢沢三十郎頼幸との再会を喜び、兄・信之の息子たちの成長した姿に目を細くした幸村ですが、義兄・小山田茂誠と2人きりになると、武田の一員として数々の野戦に参加した兄上にお聞きしたい、と前置きし、「敵の本陣に馬で突撃する際の武器は槍が一番ですか?」と、口調は穏やかながら内容な不穏当な質問。
茂誠は何の気なしに、「槍では周りを囲まれてしまうと身動きが取れぬ、鉄砲が一番だ。しかし鉄砲も縄に火が上手く点かないことがある…」と答えますが、いい終ってから、幸村の覚悟に気が付いて顔色を変えるのでした。

そうして大坂へ戻った幸村は、秀頼や長曾我部盛親に今後の望みを聞いて回り、「私はまだ諦めてはおりません」といって彼らを勇気づけ、城の中庭を畑にして耕す自分の妻や家臣らの姿に笑顔を向けます。
そのとき、ふと誰かが「ここは昔、茶室だったのでございます」というのへ、幸村が亡き利休を思い出したそのとき、畑の下から利休の印が刻まれた箱が出土。
なかに入っていたのは短筒が2丁、それも、火縄を用いず、火打石で発火する馬上筒と呼ばれる鉄砲です。
これはまさに天の導きといってもいい宝箱でした。

策を建て、馬上筒も手に入れた幸村ですが、いま必要なのは要害(砦)が完成するまでの時間。
それまでは牢人たちを大人しくさせ、徳川に攻めてくる口実を与えてはならぬところでしたが、持ち金が尽きかけた牢人たちに一時金を分け与えたところ、牢人たちは武器を買い揃え、大野治房が独断で堀を掘り返したことで、状況はのっぴきならない方向へ。
こうなると合戦の”引鉄”を引いたのは大坂方ということになり、家康は諸大名に号令をかけ、舌なめずりするように大坂への「総攻め」を命じるのでした。

そんなとき、幸村から届いた手紙を読んだ信之は、「弟は大御所さまと刺し違えて死ぬ覚悟」と見抜き、大坂へと出向くことを決断。
来週の『前夜』では、兄弟が久々の対面を果たすことになりそうです。

第48話『引鉄』はこのような内容だったわけですが、幸村の決死の特攻で終わるであろう『真田丸』も、残りあと2話ということもあって、なんだか重苦しい雰囲気でした。
我々視聴者にしても、一年間見守り続けてきた真田源次郎の”覚悟”に胸が締め付けられます。
次の戦を優勢に導き、秀頼が四国へ領地替えすることで豊臣と徳川の戦を終わらせるという”未来”も語られていましたけど、21世紀の我々はそれが叶わぬ夢であることを知っているだけに、悲しくなってきます。
大河ドラマは”史実を守る”のが一応の掟ですけど、ハッピーエンドが観たい!
そんな気分にさせる第48話でしたね。
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『真田丸』第47話、『反撃』

後に大坂夏の陣と呼ばれる戦いで、豊臣方は真田丸での勝利によって戦局を優位に進めるも、徳川方の砲撃によって本丸に被害が及ぶと、状況は一転。
城内に厭戦ムードが広がり、戦闘継続を決めていた淀殿も侍女の死を見て心が弱り、ついに豊臣方は和睦の道を選ぶことになります。
和睦に反対していた真田幸村ですが、こうなれば致し方なしと、今後はどのように和睦を有利進めるかを考えることになったのでした。

そうして始まった和睦交渉では、幸村はまず淀殿の妹である常高院を大坂方の代表に選ぶことによって、”女子同士”という形を作り、徳川方の”古狐”本多正信が出てこれないよう策を講じます。
しかし徳川方が選んだのは、古狐と同じくらい食えない”女狐”阿茶局。
柔和な表情と語り口で、常高院や随行した大蔵卿局を安心させた阿茶局は、
・秀頼は大坂にいてよい、その身の安全も保障する。
・淀殿も人質にはしない。
・大坂を離れたければお好きな国へ。
・牢人も処罰は一切しない。
という驚くほど豊臣有利な条件を出して、大蔵卿局を喜ばすと、豊臣方からの「牢人を養うために所領を増やして欲しい」という要求へは「あとはおいおい」と軽くいなしつつ、大坂城の堀を埋め、真田丸を打ち壊すことについての内諾を取り付けます。

この和睦交渉の結果を聞いた豊臣方は、徳川方の寛容さに胸を撫で下ろすも、幸村はあまりにもこちらに都合が良すぎて、何か裏があるのではないかと疑い、同行させていた桐から堀の埋め立てと真田丸の破却を聞くと、愕然とした表情となり、大局が見えない大蔵卿局の「堀や真田丸があるから戦が終わらず、牢人衆も居座るのです」という考えに対して、「戦えぬ我らに家康が約定を守るとお思いか!」と激怒するのでした。

「和睦と見せかけて敵を丸裸にする」という家康の方針のもと、交渉を成功させた徳川方の見事な”反撃”に、大坂城内の牢人衆は大いに狼狽えて、早くも敗戦ムード。
堀が埋め立てられ、真田丸も跡形もなくなり、次は二の丸と三の丸も取り壊されるという段となり、さしもの幸村も「策はない。この戦、すでに勝ち目はなくなった。全て私の力不足」と牢人衆に頭を下げ、大坂から立ち退くよう勧めます。

このときの幸村は牢人でありながら、振る舞いは豊臣の家臣。
城を枕に討ち死にする覚悟が見え隠れすると同時に、「望みを捨てぬ者だけに道は開けるのです」といって豊臣秀頼を諭す姿は忠臣そのものです。
堀田作兵衛が「太閤殿下のご恩に報いるためには何でもするお方」と評した通りの男がそこにいました。
そんな幸村の態度に、主だった牢人衆は、城に残ることを選び、「わしらはお主に従う、早く策を考えろ!」といって幸村をリーダーとして認めたのでした。

そして、秀頼からの「私はまだ望みを捨ててはいない」という言葉。
全体に暗いムードが描かれた第47話『反撃』でしたけど、最後の最後でわずかな光明が差してきました!
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