東京五輪、縁の下の勝者たち
この東京五輪では2018年に日本オリンピック委員会(JOC)が「金メダル30個」という目標を掲げていたものの、ちょっと無理じゃないかという声が巷には多かったと思うんですけど、終ってみれば過去最多の27個。ほぼ目標達成といっていい数字でした。
これはもちろん過去最多ですし、獲得メダル総数58も過去最多でした。
しかも国別メダルランキングでも金が3位、総数が5位でしたから、日本選手たちが”大活躍した大会”といっても過言ではありません。
ちなみに、大会前にアメリカのさる調査会社が予想した日本のメダルは金26個、総数60個でした。ほぼ的中といっていい数字でびっくりします。
そのように、目標や予想が結果に近かったとはいえ、内訳で見ると、期待されながらも振るわなかった競技があり、それを新種目が補っているという形だったことも見逃してはなりません。
具体的にいうと競泳やバドミントンが振るわず、スケボーの若者たち(ほとんど十代)が想像以上のがんばりを見せてくれたとのが大きかったです。
他競技でも若手の活躍が目覚ましく、新鮮な驚きに満ちた大会だったといっていいと思います。
もっとも、逆にいうと、この東京五輪はメダルを獲り逃した選手が多かった大会だったわけです。
勝負事ですから時の運もあるでしょうけど、実力・実績と結果が大きく乖離してしまった選手・チームが散見されたのも事実です。
そういう選手・チームはネットでもかなり叩かれていましたけど、まあでも仕方ないですよね、それもアスリートの宿命です。
ただ、一部のネットやSNSで誹謗中傷みたいなことが起きていたのは許されていいものじゃありません。
いうまでもなく、批判とそれとはまったくの別のものです。
批判は叱咤激励であり、選手・チームが失敗から学んで、反省して、前を向こうとしていたらまた応援するものです。アスリートたちの心を折ろうとする誹謗中傷とは違います。
しかしここでまたややこしいのは、「選手への誹謗中傷はよくない!」といって批判すらも封じ込めようとするひとたちがいたことです。主にマスメディアに。
アスリートたちのなかにもそういう態度がいくつか見られました。
勝ったら賞賛して負けたら慰めろ、ということでしょうか?
私はそういう身勝手な考え方には反対です。
そんなことをしていたら日本のスポーツが成長するはずありませんし、選手も同じことです。
批判を受け止められない選手が強くなれるとは思えませんし、大衆を”手のひら返し”させてくれるのが真のヒーローなんです。
もちろん、日本社会はいつだってアスリートにチャレンジするチャンスを与えるべきです。それが前提です。
私はマスメディアが期待外れの選手たちをかばっていたのは、それらが一流有名アスリートであり、多くのスポンサーがついていたためだと勘ぐっています。
民放の五輪中継なんかでは、そういう選手が合間のCMに出てくるんですから、そりゃあかばうってものです。
スポンサーとの関係も気まずくなりますしね。
また、マスメディアが大会前は「五輪反対」の世論を作ろうと躍起になっていたのも忘れてはなりません。
そこに多くの尺を使ったせいでマイナーな競技や有名でない選手は国民に知られることも少ないまま大会に突入してしまったんです。
マスメディアが可愛がるのは自分たちと近い選手や競技にばかりなので、五輪報道でもマイナーなアスリートたちは結果を出さない限り、いないひとのように扱われます。
さらにいうと、マスメディアが見ないようにしていたのはそれだけではありません。
東京五輪を最後まで諦めなかった関係者のがんばりや苦労は完全に無視されています。
海外からの評価でいうと、武漢ウイルス対策も含め、運営には「おおむね成功」「よくやった」という声が多いようです。選手村もずいぶん好評だったらしく、多くの海外選手が滞在を楽しんでいる様子をSNSに上げていましたよね。食事なんて大人気だったみたいじゃないですか。
批判されているのは無観客や選手の厳しい隔離ですから、それは運営とは関係ありません。そっちは東京都や組織委員会の判断です。
私は東京五輪の運営やサポートに携わったひとたち、指揮系統から末端に及ぶたくさんのひとたちに、大きな拍手を送りたいです。
重箱の隅を突きたいメディアが目を皿のようにしているなか、大きなトラブルもないまま無事大会を完遂できたのは、まさに金メダル級です。
開催と成功を信じて努力し続けたことは賞賛に値します。
ありがとう、おつかれさまでした、縁の下の勝者たち!

これはもちろん過去最多ですし、獲得メダル総数58も過去最多でした。
しかも国別メダルランキングでも金が3位、総数が5位でしたから、日本選手たちが”大活躍した大会”といっても過言ではありません。
ちなみに、大会前にアメリカのさる調査会社が予想した日本のメダルは金26個、総数60個でした。ほぼ的中といっていい数字でびっくりします。
そのように、目標や予想が結果に近かったとはいえ、内訳で見ると、期待されながらも振るわなかった競技があり、それを新種目が補っているという形だったことも見逃してはなりません。
具体的にいうと競泳やバドミントンが振るわず、スケボーの若者たち(ほとんど十代)が想像以上のがんばりを見せてくれたとのが大きかったです。
他競技でも若手の活躍が目覚ましく、新鮮な驚きに満ちた大会だったといっていいと思います。
もっとも、逆にいうと、この東京五輪はメダルを獲り逃した選手が多かった大会だったわけです。
勝負事ですから時の運もあるでしょうけど、実力・実績と結果が大きく乖離してしまった選手・チームが散見されたのも事実です。
そういう選手・チームはネットでもかなり叩かれていましたけど、まあでも仕方ないですよね、それもアスリートの宿命です。
ただ、一部のネットやSNSで誹謗中傷みたいなことが起きていたのは許されていいものじゃありません。
いうまでもなく、批判とそれとはまったくの別のものです。
批判は叱咤激励であり、選手・チームが失敗から学んで、反省して、前を向こうとしていたらまた応援するものです。アスリートたちの心を折ろうとする誹謗中傷とは違います。
しかしここでまたややこしいのは、「選手への誹謗中傷はよくない!」といって批判すらも封じ込めようとするひとたちがいたことです。主にマスメディアに。
アスリートたちのなかにもそういう態度がいくつか見られました。
勝ったら賞賛して負けたら慰めろ、ということでしょうか?
私はそういう身勝手な考え方には反対です。
そんなことをしていたら日本のスポーツが成長するはずありませんし、選手も同じことです。
批判を受け止められない選手が強くなれるとは思えませんし、大衆を”手のひら返し”させてくれるのが真のヒーローなんです。
もちろん、日本社会はいつだってアスリートにチャレンジするチャンスを与えるべきです。それが前提です。
私はマスメディアが期待外れの選手たちをかばっていたのは、それらが一流有名アスリートであり、多くのスポンサーがついていたためだと勘ぐっています。
民放の五輪中継なんかでは、そういう選手が合間のCMに出てくるんですから、そりゃあかばうってものです。
スポンサーとの関係も気まずくなりますしね。
また、マスメディアが大会前は「五輪反対」の世論を作ろうと躍起になっていたのも忘れてはなりません。
そこに多くの尺を使ったせいでマイナーな競技や有名でない選手は国民に知られることも少ないまま大会に突入してしまったんです。
マスメディアが可愛がるのは自分たちと近い選手や競技にばかりなので、五輪報道でもマイナーなアスリートたちは結果を出さない限り、いないひとのように扱われます。
さらにいうと、マスメディアが見ないようにしていたのはそれだけではありません。
東京五輪を最後まで諦めなかった関係者のがんばりや苦労は完全に無視されています。
海外からの評価でいうと、武漢ウイルス対策も含め、運営には「おおむね成功」「よくやった」という声が多いようです。選手村もずいぶん好評だったらしく、多くの海外選手が滞在を楽しんでいる様子をSNSに上げていましたよね。食事なんて大人気だったみたいじゃないですか。
批判されているのは無観客や選手の厳しい隔離ですから、それは運営とは関係ありません。そっちは東京都や組織委員会の判断です。
私は東京五輪の運営やサポートに携わったひとたち、指揮系統から末端に及ぶたくさんのひとたちに、大きな拍手を送りたいです。
重箱の隅を突きたいメディアが目を皿のようにしているなか、大きなトラブルもないまま無事大会を完遂できたのは、まさに金メダル級です。
開催と成功を信じて努力し続けたことは賞賛に値します。
ありがとう、おつかれさまでした、縁の下の勝者たち!


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