2018安曇野能、華々しい卒業式
安曇野の夏の風物詩だった龍門淵公園での薪能も一昨年(2016年)からは豊科公民館ホールでの蝋燭能となり、少し寂しい気持ちもありますが、天気の心配がいらないのは主催する側にとっても観る側にとってもありがたいものです。昨日(8月25)などは台風20号の影響も考えられましたからね。
しかし、そんな杞憂をあざ笑うかのように昨日の信州は快晴。安曇野市は風が乾いているとはいえ、陽射しは強く、なかなかの暑さでした。
午後2時開演(午後1時から子供たちの発表会)ということもあり、クーラーの利いたホールに入ってきたお客さんたちは人心地ついたような表情をしていたのはいうまもでありません。
演目の方もまずは青木道喜先生による能楽『羽衣』和合之舞から始まり、清涼感たっぷりでした。
『羽衣』といえば舞台は三保の松原ですが、長野市から安曇野市までの道行きで眺めた景色が本当に素晴らしかったので、私には天女が海の上ではなく、信州のやまなみの上で舞っているように思えました。
本当に美しく、爽やかな風を感じる能でした。これも青木先生の卓越した運び(運足)があったればこそでしょう。
故・観世寿夫は運びの極意を「垂らした糸が滑るように」と語っていましたけど、青木先生のそれは糸よりも硬質な金属繊維のようで私好みです。
青木先生の師匠である故・片山幽雪先生(九世九郎右衛門)もそうだったように思います。
その硬質さでいうと、野村萬先生の〈萬狂言〉も芯の部分がしっかりしているので、これもまた私好みです。笑えるだけではなく、品と格を感じます。
そんな萬先生の今年の演目は『文荷』。
少年に懸想する主人に恋文を届けるよう命じられた太郎冠者と次郎冠者がそれを嫌がる馬鹿馬鹿しいお話で、昨今の”LGBTの権利擁護”とは真逆にあるひとびとの本音に溢れた笑いがそこにありました。
主人の手紙を玩具にして破ったのがばれたときの、萬先生の「お返事でござる」の絶妙な間合いとすっとぼけた表情が最高でした。
そして最後は能楽『烏帽子折』。
『烏帽子折』は立ち方の数がものすごく多くて、子方の立ち回りも難しいので、演じられることの少ない曲目です。実は私もこれが初見だったので本当に楽しみでした。
子方はもちろん青木先生のご子息である真由人くん(中学2年)。
昨年の段階で声変わりも終わり、身体もけっこう大きくなっていたので、もう子方は厳しい感じでしたけど、今年のこの『烏帽子折』で子方は卒業だそうです。
ひょっとすると萬先生が『文荷』を選んだのも、真由人くんへの激励かもしれませんね。
青木真由人という役者にとって最初の区切りですから、ファンとしても記憶に焼き付けておかなければ。
そんな『烏帽子折』の物語は、鞍馬山から降りてきた稚児姿の牛若丸(子方)が、奥州に向かう旅の商人(ワキ)に案内を頼むところから始まります。
ワキ方の江崎欽次朗先生も真由人くんもキリッとした役者なので、序盤から舞台が引き締まっていました。
そして、その旅の道すがら、稚児姿のままだと目立ってしまうと考えた義経は思い切って元服することを決断し、途中の宿場で烏帽子屋に立ち寄ります。
そこで牛若丸は源氏ならではの”左折”の烏帽子を注文し、烏帽子屋の主人(シテ)は「平氏の世の中だというのになんと堂々としているのか」と感心し、そこで左折がどれだけ素晴らしいかを語り、義経の元服を祝ってあげます。
シテが青木道喜先生で、子方の真由人くんに烏帽子をかぶらせてあげる場面があるのですが、現実とあいまって会場全体がジーンときているようでした。
(普通なら烏帽子親は仮親(後見人)が務めるものですけど、実の親がそれをする倒錯は能楽らしさでもありますよね。)
そうして見事元服した牛若丸ですが、烏帽子の代金をもっていないので腰の担当をその代わりに差し出します。
主人は遠慮しつつも受け取り(商売人根性)、その拵えが見事なので妻(ツレ)に見せると、妻がびっくり仰天。
実はこの妻は牛若丸の父の家来の妹で、常盤御前が懐妊しているときに守り刀としてこの短刀を届けたのは自分だというのです。
それで、先ほどの客は牛若殿に違いないと、夫婦そろって後を追いかけます。
そこからは感動の再会劇。
妻は身の上を語り、主人は短刀を返し、陸奥へと下る牛若丸を涙ながらに見送るのでした。
中入りでは間狂言の小笠原匡先生らが大いに盛り上げて時間を忘れさせ、後場は雰囲気が一変。
商人がなにやら”お宝”を運んでいるという噂を聞きつけた野盗・熊坂長範(シテ)一味が、宿に泊まる牛若丸らを襲撃してきます。
能の面白いのは、前シテが味方だったのに後シテが敵になることですね。これは『船弁慶』でもまったく同じ構造です。
『烏帽子折』の後場の見所はなんといっても立ち方の多さ。
野盗一味は熊坂を合わせて10人もいるんです。
それが次々と襲い掛かってくるのを牛若真由人がばったばったと切り伏せる。
敵はみな先輩シテ方なのですが、それが「俺(私)を超えて行け!」とばかりに向かってくるのはまるで空手の百人組手ですね。
もちろんやられる方にも見せ場があって、手下に扮したシテ方の先生もノリノリ。
『烏帽子折』はめったにない演目ですし、真由人くんの子方卒業への”はなむけ”でもあるでしょうし、かなり楽しんでいる様子でした。
なかでも、”やられ様”はなかなか見応えがあって、能楽で”やられた”を意味する動きは胡坐をかくような”安座”なのですが、長刀で暴れた荒法師が直立のまま真後ろに倒れる”仏倒れ”を披露したときは、唐突だっただけにびっくりしました。
仏倒れは下手をすると後頭部を打って昏倒することもある危険な技ですが、思い切りもよく、身体のラインも美しく成功させたのはお見事でしたね。
(荒法師は衣装がハマりすぎていて誰だかわかりませんでした。残念。)
また、180cmを優に超える”ノッポの能楽師”として有名な大江信行先生も、手下を統率する若者頭として仏倒れに挑み、やや躊躇したような間合いと背中のしなりがあったのでヒヤッとしましたけど、それだけに成功したときには会場からも大拍手!
長身だけにものすごい迫力でした!
そして最後に牛若丸の前に立ち塞がるのは熊坂長範。
老盗ながら五尺三寸の大太刀を軽々と振るいます。
それに扮する青木先生は小柄な方ですけど、芸のチカラで身体が何倍にも見えるのはさすが(幽雪先生もそうでした)。
もちろんその太刀筋も凄まじく、ひょっとすると牛若丸が負ける結末もあるかも…と心配するほどでしたけど、牛若真由人はその攻撃を欄干飛びの要領でぴょんぴょんとかわし、逆に熊坂を追い詰めます。
すると熊坂は「太刀を持っては捉えられない」と組手の勝負に切り替え、両手を巨熊のように掲げて攻め狂い、あやうし、牛若丸!
…と思われたのも束の間、牛若丸はマタドールのように巨熊を捌き、最後は鮮やかに切り伏せて、最大の壁を乗り越えた!
手に汗握る大立ち回りに会場も拍手喝采!
華々しい子方卒業式でしたね!
真由人くんは来年からしばらくは仕舞や舞囃子のみになるでしょうけど、成長して”能楽”に戻ってくるのを楽しみに待っています!
今年の安曇野能も楽しかったあ。

しかし、そんな杞憂をあざ笑うかのように昨日の信州は快晴。安曇野市は風が乾いているとはいえ、陽射しは強く、なかなかの暑さでした。
午後2時開演(午後1時から子供たちの発表会)ということもあり、クーラーの利いたホールに入ってきたお客さんたちは人心地ついたような表情をしていたのはいうまもでありません。
演目の方もまずは青木道喜先生による能楽『羽衣』和合之舞から始まり、清涼感たっぷりでした。
『羽衣』といえば舞台は三保の松原ですが、長野市から安曇野市までの道行きで眺めた景色が本当に素晴らしかったので、私には天女が海の上ではなく、信州のやまなみの上で舞っているように思えました。
本当に美しく、爽やかな風を感じる能でした。これも青木先生の卓越した運び(運足)があったればこそでしょう。
故・観世寿夫は運びの極意を「垂らした糸が滑るように」と語っていましたけど、青木先生のそれは糸よりも硬質な金属繊維のようで私好みです。
青木先生の師匠である故・片山幽雪先生(九世九郎右衛門)もそうだったように思います。
その硬質さでいうと、野村萬先生の〈萬狂言〉も芯の部分がしっかりしているので、これもまた私好みです。笑えるだけではなく、品と格を感じます。
そんな萬先生の今年の演目は『文荷』。
少年に懸想する主人に恋文を届けるよう命じられた太郎冠者と次郎冠者がそれを嫌がる馬鹿馬鹿しいお話で、昨今の”LGBTの権利擁護”とは真逆にあるひとびとの本音に溢れた笑いがそこにありました。
主人の手紙を玩具にして破ったのがばれたときの、萬先生の「お返事でござる」の絶妙な間合いとすっとぼけた表情が最高でした。
そして最後は能楽『烏帽子折』。
『烏帽子折』は立ち方の数がものすごく多くて、子方の立ち回りも難しいので、演じられることの少ない曲目です。実は私もこれが初見だったので本当に楽しみでした。
子方はもちろん青木先生のご子息である真由人くん(中学2年)。
昨年の段階で声変わりも終わり、身体もけっこう大きくなっていたので、もう子方は厳しい感じでしたけど、今年のこの『烏帽子折』で子方は卒業だそうです。
ひょっとすると萬先生が『文荷』を選んだのも、真由人くんへの激励かもしれませんね。
青木真由人という役者にとって最初の区切りですから、ファンとしても記憶に焼き付けておかなければ。
そんな『烏帽子折』の物語は、鞍馬山から降りてきた稚児姿の牛若丸(子方)が、奥州に向かう旅の商人(ワキ)に案内を頼むところから始まります。
ワキ方の江崎欽次朗先生も真由人くんもキリッとした役者なので、序盤から舞台が引き締まっていました。
そして、その旅の道すがら、稚児姿のままだと目立ってしまうと考えた義経は思い切って元服することを決断し、途中の宿場で烏帽子屋に立ち寄ります。
そこで牛若丸は源氏ならではの”左折”の烏帽子を注文し、烏帽子屋の主人(シテ)は「平氏の世の中だというのになんと堂々としているのか」と感心し、そこで左折がどれだけ素晴らしいかを語り、義経の元服を祝ってあげます。
シテが青木道喜先生で、子方の真由人くんに烏帽子をかぶらせてあげる場面があるのですが、現実とあいまって会場全体がジーンときているようでした。
(普通なら烏帽子親は仮親(後見人)が務めるものですけど、実の親がそれをする倒錯は能楽らしさでもありますよね。)
そうして見事元服した牛若丸ですが、烏帽子の代金をもっていないので腰の担当をその代わりに差し出します。
主人は遠慮しつつも受け取り(商売人根性)、その拵えが見事なので妻(ツレ)に見せると、妻がびっくり仰天。
実はこの妻は牛若丸の父の家来の妹で、常盤御前が懐妊しているときに守り刀としてこの短刀を届けたのは自分だというのです。
それで、先ほどの客は牛若殿に違いないと、夫婦そろって後を追いかけます。
そこからは感動の再会劇。
妻は身の上を語り、主人は短刀を返し、陸奥へと下る牛若丸を涙ながらに見送るのでした。
中入りでは間狂言の小笠原匡先生らが大いに盛り上げて時間を忘れさせ、後場は雰囲気が一変。
商人がなにやら”お宝”を運んでいるという噂を聞きつけた野盗・熊坂長範(シテ)一味が、宿に泊まる牛若丸らを襲撃してきます。
能の面白いのは、前シテが味方だったのに後シテが敵になることですね。これは『船弁慶』でもまったく同じ構造です。
『烏帽子折』の後場の見所はなんといっても立ち方の多さ。
野盗一味は熊坂を合わせて10人もいるんです。
それが次々と襲い掛かってくるのを牛若真由人がばったばったと切り伏せる。
敵はみな先輩シテ方なのですが、それが「俺(私)を超えて行け!」とばかりに向かってくるのはまるで空手の百人組手ですね。
もちろんやられる方にも見せ場があって、手下に扮したシテ方の先生もノリノリ。
『烏帽子折』はめったにない演目ですし、真由人くんの子方卒業への”はなむけ”でもあるでしょうし、かなり楽しんでいる様子でした。
なかでも、”やられ様”はなかなか見応えがあって、能楽で”やられた”を意味する動きは胡坐をかくような”安座”なのですが、長刀で暴れた荒法師が直立のまま真後ろに倒れる”仏倒れ”を披露したときは、唐突だっただけにびっくりしました。
仏倒れは下手をすると後頭部を打って昏倒することもある危険な技ですが、思い切りもよく、身体のラインも美しく成功させたのはお見事でしたね。
(荒法師は衣装がハマりすぎていて誰だかわかりませんでした。残念。)
また、180cmを優に超える”ノッポの能楽師”として有名な大江信行先生も、手下を統率する若者頭として仏倒れに挑み、やや躊躇したような間合いと背中のしなりがあったのでヒヤッとしましたけど、それだけに成功したときには会場からも大拍手!
長身だけにものすごい迫力でした!
そして最後に牛若丸の前に立ち塞がるのは熊坂長範。
老盗ながら五尺三寸の大太刀を軽々と振るいます。
それに扮する青木先生は小柄な方ですけど、芸のチカラで身体が何倍にも見えるのはさすが(幽雪先生もそうでした)。
もちろんその太刀筋も凄まじく、ひょっとすると牛若丸が負ける結末もあるかも…と心配するほどでしたけど、牛若真由人はその攻撃を欄干飛びの要領でぴょんぴょんとかわし、逆に熊坂を追い詰めます。
すると熊坂は「太刀を持っては捉えられない」と組手の勝負に切り替え、両手を巨熊のように掲げて攻め狂い、あやうし、牛若丸!
…と思われたのも束の間、牛若丸はマタドールのように巨熊を捌き、最後は鮮やかに切り伏せて、最大の壁を乗り越えた!
手に汗握る大立ち回りに会場も拍手喝采!
華々しい子方卒業式でしたね!
真由人くんは来年からしばらくは仕舞や舞囃子のみになるでしょうけど、成長して”能楽”に戻ってくるのを楽しみに待っています!
今年の安曇野能も楽しかったあ。


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