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ジャニー喜多川死去、Show must go on

私は、創作者や芸術家のもっとも偉大な仕事のひとつは”典型をつくること”だと思っています。
時代も国もごちゃ混ぜになりますが、ココ・シャネル、ビートルズ、アンディ・ウォーホル、『ドラゴンボール』の鳥山明などは、まさにひとつの典型をつくり、世界中のひとびとがそれを見れば「~風だ、~流だ」と気づき、想像の現場にいる後人たちにも多大な影響を与えました。
それはまさに歴史的偉業といえるでしょう。

その意味でいえば、一昨日(2019年7月9日)に亡くなったジャニー喜多川氏の〈ジャニーズ〉は日本アイドルの典型であり、氏の業績は日本芸能史に残るトピックスだと思います。
いまの日本ではジャニーズといえば、そのまま”アイドル”の意味ですし、「ジャニーズに入れそう」とか「ジャニーズ顔、ジャニーズ風」だとかいえば、そのまま褒め言葉になります。
こういう認識をつくるというのは本当に凄いことです。

では、そのジャニーズ風とはいったいなんなのか?
顔立ちは可愛らしく、体格は小柄で細身、受け取る印象はキラキラした感じでしょうか。
おそらくジャニー喜多川氏の”好み”がそれなのでしょう。
そういう少年たちが元気いっぱいに歌ったり踊ったりするのがジャニーズだと思います。

ただ、そのジャニーズの少年たちというのは、失礼ながら、歌も踊りもすごく上手いというわけではありませんよね。
むしろ、あまり上手すぎるとジャニーズっぽくないという感じになってしまいます。
スペシャルな才能があるわけではない少年たちが、自分の限界に挑みながらも、全身を躍動させ、一生懸命にパフォーマンスする姿こそが、ジャニーズの本質なのだと私は思います。
だからこそファンも”熱く応援”することができるのです。
そして、その少年たちの”一生懸命さ”を引き出すことに日本一長けていたのがジャニー喜多川氏でした。
大きな情熱と愛を動機にして、少年たちに輝きを与えてきたわけです。

しかし、そのジャニー喜多川氏の愛というのは、ときに歪んだ形で発露し、セクシャルハラスメント・パワーハラスメントが度々問題になってきました。
数々の告発があっただけではなく、99年に『週刊文春』を相手に氏が起こした名誉棄損の裁判の過程でセクハラ行為が認定されているので、これは事実といっていいでしょう(04年確定)。
00年には国会でも氏の”性的虐待”を問題視する質問があったのですから、本来ならばその頃に一線を退いてしかるべきでした。

そうならなかったのは、メディアの”忖度”のせいとしかいいようがありません。
当時、すでに大勢力となっていた芸能事務所のトップが、明らかにモラルや法に背いていたのですから、厳しく糾弾するのが社会正義というものです。
ところが、日本の既存メディアはそれを完全にスルーしました。
これは〈クロスオーナーシップ〉が背景にあるのは想像に難くなく、テレビや雑誌・書籍から「ジャニーズタレントを引き揚げる」と圧力がかかれば、報道も自粛する以外ありません。
これは日本社会の闇のひとつといっていいでしょう。
この度の訃報に際しても、メディアではジャニー喜多川氏は”完璧な人物”とされています。

また、ジャニーズ事務所の弊害としては、移籍したタレントや他事務所のアイドルへの圧力もよくいわれるところです。
前者は田原俊彦さんやSMAP、後者はDA PUMP(初期の頃)やw-indsがわかりやすい例ですね。
ジャニー喜多川氏の意向かどうかはわからないものの(私はそうではないと思っています)、事務所としては”共演NG”を武器に排除にかかったわけです。
これは昨今独占禁止法違反の疑いが囁かれ、正取引委員会が動いているとの報道もありますから、今後はぜひ改善していって欲しい部分です。

ジャニー喜多川氏はひとつの典型をつくりましたが、”ジャニーさんの好み”一色になってしまえば、日本のエンターテイメントは衰退してしまいます。
令和の時代に入ったことですし、日本の芸能界ももっと自由になるべきです。
それでこそ「Show must go on」です。
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佐藤浩市さんはぐだぐだいわずに役を断ればよかったのに

NHKといえば”宣伝をしてはならない放送局”のはずですけど、今日放送(2019年5月13日)の『鶴瓶の家族に乾杯』でゲストの松坂桃李くんが、主演映画『居眠り磐音』を堂々と告知していたのには、思わず失笑してしまいました。
それでも目くじらを立てる気にもならないのは、桃李くんの持つ爽やかなキャラクターのせいでしょうか。
このひとは多くの映像作品やCMに出演するだけではなく、バラエティでもよく顔を見ますけど、嫌な感じを受けたことがありません。育ちの良さそうな、本当の好青年だと思います。

そんな桃李くんですから、『家族に乾杯』で街をぶらぶらしていても、出会うひとがみんな笑顔ですよね。
すらっとしたハンサムですし、名前を知らなくても、「なんかどこかで見たイケメンがいる!」って感じで特に女性が舞い上がっていました。
ただ、そんなか、中学1年の男子集団とバーベキューをしていたお母さんが桃李くんを見つけて、「ほら、あのひと、『シンケンジャー』のひと!」って子供たちに教えているのは、ちょっと桃李くんが可哀想でした。
桃李くんは今年でデビュー10年目になりますが、『侍戦隊シンケンジャー』はその1年目の作品ですから、それのみを代表作みたいに紹介されたら、残りの9年はなんだったのかということになっちゃいます。
もっと他に説明しやすい作品があるでしょうに!

…とはいったものの、私もいくら考えても代表作が思い浮かびません…。
朝ドラの相手役を2回やったり、大河ドラマでもいい脇役をやったりしていますけど、目立っていたわけでもありませんし、主演ドラマや映画でもヒットした作品は皆無…。
むしろ、すごく外したり、コケたりしたものがほとんどですし、現在放送中の主演ドラマも酷い…。
また、CMなんかでも話題になったことはありません。数はすごく多いのに…。
(一番のヒット作は、主人公の声を演じたゲーム『ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城』かも。)

こう見てくると、正直いって、いわゆる”ゴリ押し”な感じは否めません。
でも、いいじゃないですか。感じのいいハンサムなのは間違いないんですから!
驕った様子もなく、常に謙虚な桃李くんにはいつかいいことありますよ!

こんなふうに、俳優さんって、これといった代表作を掴むのはなかなか難しいんでしょうね。
ただし、けっこういますよね、代表作がなくても有名なひと。
何年もやっていれば、それ相応の知名度を獲得するわけです。
もちろん、そういうひとは”スター”とは呼ばれませんけどね。

ところが、少ないながら、”なんとなくスター””なんとなく大物”になっちゃっているひともいるんです。
その代表例として私が真っ先に思い浮かべるのは”佐藤浩市さん”。
40年近いキャリアをお持ちの有名俳優ですけど、このひとを一言でいい表せる作品は残念ながら見つかりません。
街で出会ったお母さんは子供になんと紹介すればいいのかわからないはずです。それに比べれば『侍戦隊シンケンジャー』は随分ましです。

一般的に、誰でも知っているヒット作品となれば、映画は興行収入50億、ドラマは視聴率20%といったところが基準になるでしょうけど、佐藤浩市さんにはそういう主演作はないはずです。
準主演やオムニバス映画のヒット作はありますけど、”佐藤浩市の作品”って感じじゃありませんしね。

これを佐藤さんと同世代の俳優で比較すると、友人でもある中井貴一さんだったら『ビルマの竪琴』『武田信玄』〈ミキプルーン〉ってすぐに出てきますし、ライバルの渡辺謙さんにしても『独眼竜政宗』『ラストサムライ』〈ヤクルト〉って具合に考えるまでもありません。
しかし、佐藤浩市さんにはそういうものがひとつもないんです。
それなのにスター然としているのですから、なかなか不思議なものです。
(事実でいえば、期待外れの作品の方がかなりの量。)

失礼ながら、佐藤浩市さんは”三國連太郎の息子”でなかったら、いまの地位はなかったはずです。
三國連太郎という名優を権威にした”スター”なのです。
そういう役者が”権威”をもとに脚本や設定にあれこれ口を出し、「体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残っている」などと口にするのは、あまりカッコいいことではありません。
体制側というのは正確にいえば支配体制側のことでしょうけど、権威を笠に着て圧力をかければそれもまた体制側ですぜ。

佐藤浩市さんはいい役者さんなのですから、謙虚に役と向き合って欲しいものです。
父親の三國連太郎はかなりの左翼的思想でしたけど、それでもって設定や脚本を変えさせたという話は聞いたことがありません。
むしろ脚本には忠実だったのか、後輩に「台本を100回読みなさい」とアドバイスしたというエピソードも残っています。
引き受けた仕事はきっちりこなすという職人気質だったのでしょう。
気に入らない役ならば断ればいいだけですしね。

そういう筋の通ったところが三國連太郎の良さであり、誰からも尊敬された要因だったように思います。
亡くなったいまでもカッコいいイメージのままです。
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沢田研二ドタキャンの矛盾

「昭和を代表する歌手は誰か?」
この問いの答えはひとによって様々で、秋の夜長でも議論は尽きぬほどですが、レコード総売り上げという数字だけでいうと、”ジュリー・沢田研二”こそがナンバー1なんですよね(※ザ・タイガースのそれも含めればさらに)。
しかもこのひとは若い頃はビジュアルも際立っていて多くの女性を虜にしたのはもちろん、バラエティでは打って変わったコントを披露して性別や年齢を超えた人気を博していたのですから、まさに大スターです。
平成になっても沢田研二は毎年のように全国ツアーを行い、安定した集客を維持したまま今年2018年には古稀を迎えました。
昭和を代表するというより、日本歌謡史を代表する歌手といっていいでしょう。
敬称などかえって失礼なスーパースターです。

そんな沢田研二が世間を賑わす大騒動を起こしたのがこの10月17日のことでした。
予定していたさいたまスーパーアリーナでのライブを開場時間ギリギリでのドタキャン。
しかも理由が「契約上重大な問題」という漠然としたものだっただけに様々な憶測が飛び交い、なかには「反原発活動のせいではないか」という政治的なものもあって、騒動はきな臭さを増すばかりでした。

それを鎮静化させるためか、18日には沢田さん本人が記者会見を開き、理由を説明。
「観客が7000人しか集まっておらず、座席が潰されスカスカになっていた。イベンター(興行主)は9000人と嘘をいってた。そんな状態で歌えというのは僕には酷なこと。ファンには申し訳ないことをしたが意地を通させてもらった。責任は事務所と僕とイベンターの3者にある」
沢田さんはそういって頭を下げていました。

この説明にはネット上では賛否両論巻き起こり、「アーティストとしてそういう考え方もある」「観客がひとりでもいれば歌うべき」と様々ありましたけど、どちらも間違ってはいないと思います。アーティスト本人の判断でしょうね。
しかも今回の沢田さんのケースでは多くのファンは「さすがジュリー」と納得しているみたいですし。

ただ、少し気になるのは、沢田さんが「イベンターが約束を破った」といっていた点です。
これは”チケットが一定枚数売れていなければライブを中止するという約束をしていた”ということを言外に匂わせていたわけですが、本当にそういう契約があるのならば中止の責任を負うのはイベンターになるはずです。
それなのに沢田さんは「責任は事務所と僕とイベンターの3者」にあると説明していたのですから矛盾が生じます。

一説には今回の損害は3000万~4000万円ということでかなりの額です。
今後はそれを誰が負担するかが問題になるでしょうけど、”どういう契約だったのか”が争点になるはずです。
沢田さんがいう”約束”が本当ならばイベンターでしょうし、そんな約束がなければ意地を通した沢田さん側が背負うことになるのが契約というものでしょう。

ですから、本来ならばマスコミはジュリーに群がるのではなく、イベンターの方にもしっかり取材をするべきなんです。
大スターが”アーティストとしての誇り”を理由にしたことで、今日19日のテレビでは概ね沢田さん側に好意的に報じ、、芸能人などが気色悪い擁護をしていましたけど、一方の意見のみを垂れ流すのは報道機関として正しいことではありません。
私は騒動よりもむしろそっちが気になります。
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お笑い番組はどこへ

春は別れの季節といいますし、それは区切りの季節でもあるわけですが、この3月(2018年)、テレビ業界でも大きな別れがありました。
86年から放送(『おかげです』も合わせて)されていた『とんねるずのみなさんのおかげでした』と96年から放送されていた『めちゃ×2イケてるッ!』がその長い歴史に幕を閉じたんです。
30年や20年も続く番組というのはファンにとっては生活のサイクルのようなものでしょうし、番組全盛期によく観ていた年代の方々にも感慨深いものがあったと思います。

ただ、両番組とも数年前から視聴率低下が顕著となり、改変時期には打ち切りが取りざたされていたので、視聴者の方もある程度の覚悟はあったかはずです。
ゴールデンタイムで一桁中盤の視聴率はさすがに厳しいものがありました。
よくここまで持ちこたえたということもできるでしょう。

そしてこの2本の番組の終了はゴールデンでの〈企画ものお笑い番組〉というジャンルそのものの終焉も感じさせます。
いまのお笑いはトーク番組が主流ですが、それだって視聴率は芳しくないものの、企画ものの場合は新たなアイデアを基に定期的にコーナーを作ることのコストが視聴率と見合わなくなっているのでしょう。
トーク番組なら作り置きのセットと人件費くらいの出費ですみます。
ちなみに、あとに残された企画もの番組の『ぐるぐるナインティナイン』も『金曜★ロンドンハーツ』も半分はトーク形式になっていますが(『みなおか』もそう)、こういうコストカットは大切ですよね。

しかしその主流であるトーク形式のお笑い番組も、”大物司会者”の手腕や存在感によって成り立っている側面が大きく、その司会者たちの高齢化や、それに伴うパワーダウンによっては、トーク形式そのものも斜陽になってゆく可能性が高いをいわざるをえません。
特筆すべきことに、現在放送中のお笑い番組の司会者というのは、ほぼ全てが”40代以上”なのです。
明石家さんまさんダウンタウン、ウッチャンナンチャンやとんねるずや、それにナインティナインがヒット番組を持ったのが20代だったことを考えれば信じられない状況です。
このままだとゴールデンで高視聴率を取る”大物司会者”や”大物お笑いタレント”自体がいなくなってしまうかもしれません。

ただ、そのように版図が縮小しつつあるお笑い番組も、深夜帯では割と元気です。
トークもの・企画もの・ロケものと個性も豊かですし、司会も大物(タモリさんなど)から中堅(おぎやはぎなど)まで揃っていて、とても賑やかですしね。
もちろんこれらの番組は視聴率が5%にも及ばず、製作費もそんなにかかっていないように見え、チープ感は拭えませんが、視聴者を絞ることでより先鋭的な番組になっていると思います。
昨今、俎上に上る”コンプライアンス”も、あまり多くの視聴者がいないだけにクレームも少ないのでしょう。
今後のお笑い番組は深夜帯が中心になるのかもしれませんね。
もちろんネット番組という方向性もあるでしょう。
ようするに”観たいひとが観る”という形です。
そして、コストに見合うだけの観たいひとがいなければ、番組は打ち切られてしまうというわけです。

『みなおか』や『めちゃイケ』の打ち切りというのは、放送の次の日の教室で共通の話題になるという文化が完全に過去のものになったことの象徴といっていいでしょう。
いまは観たいひとがリアルタイムで番組を観ながらネット上(ソーシャルメディア)で意見を交わす時代です。
そしてそれをタレントの方も意識せざるを得ない時代でもあります。
リアルの反応を感じるという意味で、タレントと視聴者の距離が寄席の芸人と客のようになったといえるのかもしれません。

お笑いタレントさんも腕一本の時代ですね。
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歌舞伎は国民的関心事なのか

新春というのは”日本らしい目出度さ”というのをみなが求めるせいか、1年の内で最も伝統芸能にスポットが当たる時期でもありますが、そのなかでも最もメディア露出が激しいのは”歌舞伎”でしょうね。
東京と大阪で恒例の初春公演が催されているというニュースはもちろん、テレビでも歌舞伎関連の番組が本当に多い。

なかでも今年(2018年)は、高麗屋が37年ぶりの3代襲名をするということで、二代目白鸚(九代目幸四郎)と十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎)とが八代目市川染五郎(四代目松本金太郎)の祖父・父・孫が連日のようにメディアに登場するわけですが、この1月3日にはNHKでその特別番組を編成したり、新聞各紙が特集記事を載せているのですからちょっと驚きました。
この扱いはまるで”国民的関心事”のようです。
しかし、本当にそうなのでしょうか?

色んな統計データを見ると、”歌舞伎を観たことがある”という日本人は2割以下ですし、その内の4割は1度しか観たことがなく、観に行ったきっかでも最も多いのは学校行事(3割以上)なんです。
多くの日本人は歌舞伎に興味がないといっていいでしょう。
そして高麗屋は有名な屋号ではあるものの、数多くある歌舞伎の一門のひとつにすぎないのですから、そこに関心がある日本人というのはほんの一握り、いや、ひとつまみといった方が正しいわけです。
それをマスメディアが大々的に扱うことに、私は違和を覚えて仕方ありません。

しかも、メディアの歌舞伎役者への扱いというのはまるで”特権階級”のそれです。
今風にいうと”セレブ”ですね。
日本には伝統芸能というのは数多くありますけど、歌舞伎のような扱いをされているものはないといってもいいでしょう。
歌舞伎はいつからそういうポジションになったのか私は不思議に思いますし、たまに深く考えたり、調べたりすることもあるんです。

歌舞伎が現在のような形になったのは江戸時代・元禄(1688年~1704年)の頃だと考えられています。
商品経済の発達に伴い豊かになっていった都市部の町人が娯楽を求め、それに応えたのが歌舞伎というわけです。
それまでにあった猿楽(能)や人形浄瑠璃を当世風に演じたり、歌舞伎独自の演目や演じ方も生まれ、江戸・大坂・京で娯楽文化として根付いてゆくわけです。
市川團十郎や坂田藤十郎といった人気役者が登場したことも大きかったでしょう。
それからも歌舞伎や新たな境地を開拓していって、娯楽文化としての地位を確固たるものにしていった歌舞伎は、町人のみならず武家にも愛されるようになり、江戸の武士だけではなく、参勤交代で江戸にやってきた地方武士の憧れでもあったようです。

そして、この”都市部でしか観ることができない”という希少性は江戸時代だけではなく、文明開化の後も続くわけです。
歌舞伎の地方巡業というのもないわけではありませんでしたが、その数は少ないですし、有名な役者が地方に来ることもありません(舞台装置や出演者の数も問題もあって演目にも制限あり)。
地方の人間にとって歌舞伎も歌舞伎役者も特別なものでした。
現代のブロマイドともいえる役者絵(浮世絵)が江戸土産として人気だったのもそのためでしょう。

そんな歌舞伎役者の芝居を日本全国のひとが親しめるようになったのは、実は歌舞伎ではありません。
映画なんです。
”日本映画界初のスター”とも呼ばれる尾上松之助(1875年~1926年)は小さな名跡の歌舞伎役者です。
映画の草創期はまだ海のものとも山のものともわからないメディアなので、大名跡の役者が出演するということはありませんでしたが、小さな名跡とはいえ歌舞伎役者を映画スターにすることで、映画に箔をつけたということもできます。
そして、その後、映画産業が大きくなると大名跡の歌舞伎役者も続々と出演するようになるわけですが、”映画に箔をつける”という映画会社のやり方は継続してゆきました(テレビドラマもそうですね)。

ここからは私なりの考えですが、現在の歌舞伎役者のステータスというのは映画会社、特に松竹が作ったものではないかと思うんです。
歌舞伎役者はスペシャルなもので、そんな役者が出演する自分の会社の映画もスペシャルなものだ。
そして、その歌舞伎役者が出演する歌舞伎座(松竹が経営)もスペシャルなものだ。
そんな論法です。

この私の解釈は間違っているのかもしれませんが、いまの歌舞伎と歌舞伎役者のメディアの扱いというのが異常だというのは確かです。
私は歌舞伎が嫌いだからこんなことを書くのではありません、ただ素直に歌舞伎という芸能と親しみたいだけです。
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プロフィール

かつしき

Author:かつしき
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