バンクーバー五輪女子フィギュアの不正採点を考える その6(終)

ここまで某韓国選手に辛らつな意見ばかりを書いてきたので、最後に少し褒めることにします。
彼女はなにも不正行為だけで五輪に臨んだわけではありません。彼女と彼女のコーチは正当な努力も十分に積んできたと思います。

まず、始めにこれだけはいっておきます。
私は、某韓国選手が不正を働いていることと同時に、彼女がかなりいい選手だということも認めています。
私の認識している某韓国選手の特徴というのは、スピードのあるスケーティングから思い切りのいいジャンプを跳んで、持久力や筋力に弱点があるなか、必死にスピンやスパイラルのレベルを獲って、ぎこちないステップを踏み、顔の表情や体のしなやかさ(柔らかさではなく)をうまく使って雰囲気を出してPCSの印象点を稼ぐ、というものです。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、私は否定的にいっているのではないんです。だって、完璧なスケーターなんて存在しないんですから。みんな弱点と長所を同時に抱えていて、弱点は直すか隠す、長所はより際立たせる、ってプログラムを組んでいるんです。

そういう意味でいうとバンクーバーで某韓国選手が披露したSPとFSはよくよく練られたいい戦略でした。
SPでもFSでも冒頭から勢いのあるスケーティングで大胆なジャンプを跳び続け、自分のスピードをジャッジに印象づけた後、表情や仕草でごまかしつつゆるいステップを踏み、体力を回復させ、また次のジャンプを跳ぶ、FSではゆるい[要素のつなぎ]でも体力を維持し後半まで持たせる。
よく出来ています。得意のジャンプで点を稼ぐ作戦です。
けれども、これが正当にジャッジングされたとすれば、PCSの[要素のつなぎ]は下がりますし、[スケーティング技術]も最初が速いだけですからあまり評価されません。休むための[振り付け]や[曲の理解]、[実行力]も当然同じことです。
また、得意としないステップやスピン、スパイラルはレベルを獲ることに主眼が置かれ、GOEは、つけば儲けものくらいになるでしょう。
そのようにして、ジャンプを見せつつ、全体の評価を整えてくるというのがこの某韓国選手が公正に競う上での最良の方法だといえます。
これだけでもかなりの得点は出ると思います。オリンピックでも最終グループを狙える位置につけるはずです。

某韓国選手の演技全体の見栄えを他選手に例えるならば、ジョニー・ウィアーのそれが近いでしょう。
平凡かもしれないが完成された一つの姿勢を丁寧に長く見せ、動きの大きさや数そのものは少ない。
もっとも、一見、同じでもウィアーは自分の美意識に従って、某韓国選手は体力回復のため、と理由は大きく異なります。
さらに、某韓国選手はこれがPCSでのイカレタ高得点に繋がりますが、ウィアーは五輪のFSでいうと、高橋くんの84.50に遥かに及ばない74.10でした。ちなみに織田くんが74.00…。
ウィアーは点が出ないことをわかっていても自分の姿勢を変えません。不正選手と正当選手の違いはこんなところからもよくわかります。
(※しっとりとしたプログラムは体をちょこまかとは動かしませんが、一つ一つのそれを大きく柔らかくしたり、エッジを深くしたり、洒落たスケーティング、スピードの緩急なんかで得点を稼ぎます。ウィアーはそれすらしたくないはず。)

ウィアーに対する採点を見ればわかるように、本来、某韓国選手のプログラムでは高得点は望めないはずなのです。
あのプログラムで超ハイスコアが出るのだったら、今後はジュニアであれをそっくりそのままパクる選手が続出します。ジャンプの技術も含めてジュニアでも十分にこなせるプログラムですからね。
休み休み滑ってジャンプやスピンを繰り返す省エネプログラムだと後半の動きもめちゃくちゃ楽でしょうからジュニアには最適かもしれません…。
褒めるつもりが否定的になってきましたが、某韓国選手の不正の証左はそんなところからもわかります。

そもそも、そのように弱点を多く抱えた選手が”歴代最高”にはなれません。
それに、彼女には特筆すべき長所もありません。
他の選手を明らかに圧倒している分野がいくつもあっての”歴代最高”ですし、「観ればわかる説明不要の凄さ」ってものが必要でしょう。
歴代の選手でいうならば、ビットやみどり、スルツカヤは説明不要の存在です。
そして、現役選手で分野別にいえば、長洲さんならスピンとスパイラルでほとんどの選手との明確な差を見せつけられます。
レピストなら切れのあるスケーティング技術と美しい姿勢。
コストナーなら優雅で大胆なステップ。高速スケーティング。
鈴木さんならノリノリで疾走感のあるステップ。
浅田さんならその無尽蔵の体力から生み出される無数の[要素のつなぎ]、女子の域を超えた驚愕のステップ。必殺の3A。
これくらいがぱっと思い浮かびます。

翻って某韓国人選手にはなにがあるのでしょう?
どう考えても一つも見当たらないのです。
3Lz+3tのコンビネーションジャンプを褒める人もいますけど、これはジャンプの種類と難度の差はありますが、3+3自体は色んな選手がやっていて、今大会でいうならばレオノワ、グレボワ、ゲデバニシビリ、レピストは某韓国選手と遜色ない3+3を跳んでいました。
ちょっと前の安藤さんなんてより高難度の3F+3Loや3Lz+3Lo(これを跳んだ女子選手は安藤さんとスルツカヤだけ)を跳んでいましたしね。
安藤さんってもっと評価されていい選手だと思います。
(某韓国選手に特筆する点があるとすればたぶん、安定感かもしれません。精神的にも肉体的にもあんまり崩れない人だとは思います。)

フィギュアスケートは腐っても競技ですから、最高の選手にはそれなりの理由があるはずなんです。それがないということは、結論をいえば、虚構だということです。

ここまで読んでこられて、「TVで解説者がよくいう表現力があるじゃないか」と思われた方がもし、いらっしゃるとすればそれは少々、バイアスがかかっているかと思われます。
そもそも「表現力」という言葉自体が不確かなものですし、ISUの採点方式にもそういった項目はありません([曲の理解]や[振り付け]という項目はあります)。
さらにいうと、私は某韓国選手が特筆すべき”表現力”を持っているとも思えません。
「ない」、とはいいませんが、他選手とよりずっと優れているかといわれれば、それはまず否定すべきでしょう。
SPのときにも書きましたが、同じ映画音楽である某韓国選手の『007』と長洲さんの『パイレーツオブカリビアン』を見比べて、某韓国選手には「長洲さんより確実に表現力がある」と断言できる人がいたら、それはただの偏愛です。
それに、某韓国選手の表現力がそうたいしたものではないことは、過去に彼女が出演したエキシビジョンの会場の様子を見ればわかります。
これほど会場が沸かない選手も珍しいです(私の偏見ではなく、フィギュアファン全体のコンセンサスだと思います)。
そんな選手に「表現力が凄い」といわれても、私は戸惑ってしまいます。

私が思うフィギュアスケートの「表現力」をわかりやすくいうとプルシェンコのエキシビジョンです。
肉体を思うがままに、強く激しく、優しく柔らかく、または素早く、ときにゆるやかに動かすことによって自分自身の感情やエネルギーを観るものにわからせるのが「表現力」なのです。
ちょうど今日(28日)はバンクーバー五輪のエキシのTV放映があるのでわかりやすいですね。

ここで一つだけ注意しなければならないことがあります。この表現力や芸術性には恐ろしい特性があるんです。
「これはいいものだ、最高だ」って連日、見せられ、いわれ続けると、普通の人は、「そうなんだあ」って、なっちゃうものなんです。
一過性の前衛芸術なんかがまさにそうですし、心理学的にいうと歌謡曲なんかは常日頃から耳にしていると徐々にいい歌に聞こえてくるそうです。それを利用してCMソングからCD販売へという方法が取られているわけです。
すり込み効果ってやつですね(プルシェンコのエキシはまったく予備知識のない人でも魅了されます)。

私がこう書くのを読んでいて、ピンときた方もいらっしゃるかと思います。
ここ何年にも渡って日本の(主に)TVメディアがすり込み工作を繰り広げてきましたからね。
「マオの永遠のライバル」、「ジャンプのマオ、表現力の某韓国人」ってな感じで。
メディアのみなさん、誰に頼まれていたのか知りませんけど、つまらないお仕事ご苦労さまです。

最初はかなりの人がうまく騙されていたかもしれませんが、今回の五輪で浅田さん、安藤さん、鈴木さんが素晴らしい演技をしてくれたおかげで、はっきりと目を覚ました人も多いはずです。
本当に表現力があったのは日本の3選手を含めた他の好選手たちです。
日本人はさる隣国の人々と違って賢いですから、騙し続けられやしません。

しかし、いままたメディアは、「某韓国選手は採点方式にうまく順応した」という違ったすり込みをばら撒いて、イカサマ隠しに必死になっています。
それが虚構だということを私はこれまで長々と書いてきたつもりです。
いまの採点方式が不正の温床になりやすいことは否定しませんが、バンクーバーで行われたイカサマは、方式がどうのという問題を遥かに超えたものです。彼らはどんな方式だって厚顔無恥に遂行したでしょう。

日本ではフィギュア解説者なる人々も「採点方式への順応」というキーワードに基づいてこの度の茶番劇を説明をしているようですし、日本スケート連盟もそういった立場のコメントを出しています。
けれどもそれはフィギュアスケートという世界と、市場を、いまのままゆるゆる、ずぶずぶの状態で守るための行為にすぎません。「相撲に八百長はない」というのと同じことです。
彼らはそのために浅田さんや安藤さんや鈴木さんの努力が犠牲になっても屁とも思わずに、目をつむっているのです。選手など数年ごとに入れ替わる設備や道具だと考えているのでしょう(日本スケ連などは「金を獲らない方が長く浅田が競技を続けてくれる」くらいに考えているかもしれません)。
フィギュアスケートは世界だろうと日本だろうと、とことんまで腐りきっています。

採点に不正があれば、もはや競技の体はなしません。今回の五輪でそれがはっきりしました。
フィギュアスケート(特に女子)は競技としての魅力を完全に失ってしまいました。
手に汗にぎって、選手の成功や勝利を祈ることが馬鹿らしくなってきます。

私も相方も、もうISUや日本スケート連盟が主催する大会やイベントへ足を運ぶ気持ちが相当に萎えています。今後は選手個人のショーや、長野で毎年やっているメモリアルオンアイスだけにするつもりです。
TVで観るときもショーだと思って観ます。順位など簡単に粉飾できるんですから、優劣をつけたって意味がありません。

…と、かっこよく言い放ちところなのですが、それでも私は心の奥底で、”競技”フィギュアへの思いが捨て切れません。
私なりの提言みたいなものを当ブログで書いてゆくつもりではいます。
少々、空しいですが。
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