帰ってきたペタジーニ
昨日(29日)、なにげに野球中継(ホークス×ドラゴンズ)を観ていると、そこに懐かしい選手の姿がありました。
あの愛妻家で有名なロベルト・ペタジーニです!
実況を聞いていると、どうやら今年ホークスが獲った新外国人選手がいまいちで、フリーだったペタジーニに声をかけ、4月の半ばに入団となり、これまでは2軍での調整だったというんですよ。
そういえばそんなニュースもあったような気がしますけど、私、ちょっと忘れていました。
と、ペタジーニの復帰初打席、あいかわらず選球眼がいいですねえ、低めのボール球の見逃し方は全盛期を髣髴とさせます。
残念ながら私が観た2打席(時間がなかったので)ともに凡退してしまったんですけど、あの選球眼ですし、慣れてくれば、そこそこ結果を残すんじゃないでしょうか。
そういばペタジーニってジャイアンツを辞めた後にアメリカにいって、それからどうしていたんだろう…。
気になって少し調べてみると、05年、レッドソックとマイナー契約、メジャーでは36打席、06年はマリナーズとマイナー契約、メジャーでは32打席。06シーズン途中に一度現役引退。
それが08年にメキシカンリーグで復帰、その5月には韓国リーグに移籍。09年も引き続き韓国リーグでプレイし、115試合で本塁打26、打率.332という好成績を残すも、年俸が折り合わずに09年限りで退団。
紆余曲折があったみたいです。
それにしてもアメリカでの2年間はほとんどがマイナー暮らしだったんですね。
私の記憶だと、日本にいたころのペタジーニはあの松井秀喜と遜色ない成績だったはず。
それがメジャー2年間で68打席って…。
参考までに以下に日本時代の成績で比較してみます(ペタジーニは99年に来日、松井は03年にメジャーへ)。
ロベルト・ペタジーニ
[99]打率.325 長打率.677 安打数147 本塁打44 打点112
[00]打率.316 長打率.601 安打数153 本塁打36 打点96
[01]打率.322 長打率.633 安打数149 本塁打39 打点127
[02]打率.322 長打率.649 安打数146 本塁打41 打点94
松井秀喜
[99]打率.304 長打率.631 安打数143 本塁打42 打点95
[00]打率.316 長打率.654 安打数150 本塁打42 打点108
[01]打率.333 長打率.617 安打数160 本塁打36 打点104
[02]打率.334 長打率.692 安打数167 本塁打50 打点107
ちなみにペタジーニは03年にメジャーへ旅だった松井秀喜の代わりにジャイアンツに入団するものの、一塁のポジションがかぶる清原和博がいたため、外野を守らざるを得なく、その影響か膝や腰を故障し、打席数がヤクルト時代より年間で100以上少なくなってしまいます。
そのジャイアンツにいた2年間の成績は、
[03]打率.323 長打率.683 安打数107 本塁打34 打点81
[04]打率.290 長打率.561 安打数111 本塁打29 打点84
下がってはいますけど、そこまで悲観的にならなくてもいいくらい。
ただし、膝や腰を悪くしていたので、走力はだいぶ衰えたという見られ方をしています。
それでも日本時代の素晴らしい実績をもとにすればメジャー契約できたって不思議ではないように思われます。
ライバルといっていい存在の松井秀喜はヤンキースと3年総額2100万ドルの巨額契約ですよ。
考えられるマイナス要素としては、走力の他にも、ペタジーニは強打を求められる一塁手だったこと、年齢もペタジーニが1971年6月2日生まれ(ベネズエラ出身なので真偽のほどはさだかではありませんが)、松井が1974年6月12日生まれなので3歳違いということになりますから、単純に比較はできません。
それでもかたやマイナー、かたや巨額契約ですから、そこまで差があっていいものなのかと思っちゃいます。
まあ、松井の場合はスポンサーたる日本企業を引き連れているのが大きいんでしょうけど…。
しかも、05年のペタジーニはレッドソックス傘下の3Aポータケットで74試合、打率.327、20本塁打、69打点をあげながらメジャーでは36打席しかもらえなかったんです。
「イチローもマイナー契約ならメジャーには上がれなかった」
これは奇しくもペタジーニと同じ05年にメジャー挑戦した中村紀洋の言葉です。
かつてのミスターフルスイングも、03、04年は怪我による不調で評価を落としていたために、ドジャースからもマイナー契約しか提示されませんでした。
[03]打率.236 長打率.459 安打数90 本塁打14 打点67
[04]打率.274 長打率.468 安打数106 本塁打19 打点66
確かにはひどい成績です…。
中村はアメリカではほとんどを3A(ドジャース傘下のラスベガス)で過ごし、成績は101試合の出場で、打率.249、22本塁打、67打点。
結局、メジャーでは17打席しか与えられず、失意のまま翌年には日本へと帰国しています。
ペタジーニもそうですし、マイナー契約って本当に大変なんですねえ…。
と、ため息をつきそうになりましたけど、中村とペタジーニを同列に比べちゃいけません。
アメリカに渡る前2年間の成績も、3Aでの成績もペタジーニがずっと上ですもの。
上記の中村の発言は世の失笑を買いましたけど、ペタジーニが、「ヒデキもマイナー契約ならメジャーには上がれなかった」といっていたら、みんな頷いたんじゃないでしょうか。
松井のメジャー1年目は打率.287、16本塁打、106打点でしたしね。
ペタジーニの野球人生を見ていると、日本人野手って恵まれているなあ、って思います。

あの愛妻家で有名なロベルト・ペタジーニです!
実況を聞いていると、どうやら今年ホークスが獲った新外国人選手がいまいちで、フリーだったペタジーニに声をかけ、4月の半ばに入団となり、これまでは2軍での調整だったというんですよ。
そういえばそんなニュースもあったような気がしますけど、私、ちょっと忘れていました。
と、ペタジーニの復帰初打席、あいかわらず選球眼がいいですねえ、低めのボール球の見逃し方は全盛期を髣髴とさせます。
残念ながら私が観た2打席(時間がなかったので)ともに凡退してしまったんですけど、あの選球眼ですし、慣れてくれば、そこそこ結果を残すんじゃないでしょうか。
そういばペタジーニってジャイアンツを辞めた後にアメリカにいって、それからどうしていたんだろう…。
気になって少し調べてみると、05年、レッドソックとマイナー契約、メジャーでは36打席、06年はマリナーズとマイナー契約、メジャーでは32打席。06シーズン途中に一度現役引退。
それが08年にメキシカンリーグで復帰、その5月には韓国リーグに移籍。09年も引き続き韓国リーグでプレイし、115試合で本塁打26、打率.332という好成績を残すも、年俸が折り合わずに09年限りで退団。
紆余曲折があったみたいです。
それにしてもアメリカでの2年間はほとんどがマイナー暮らしだったんですね。
私の記憶だと、日本にいたころのペタジーニはあの松井秀喜と遜色ない成績だったはず。
それがメジャー2年間で68打席って…。
参考までに以下に日本時代の成績で比較してみます(ペタジーニは99年に来日、松井は03年にメジャーへ)。
ロベルト・ペタジーニ
[99]打率.325 長打率.677 安打数147 本塁打44 打点112
[00]打率.316 長打率.601 安打数153 本塁打36 打点96
[01]打率.322 長打率.633 安打数149 本塁打39 打点127
[02]打率.322 長打率.649 安打数146 本塁打41 打点94
松井秀喜
[99]打率.304 長打率.631 安打数143 本塁打42 打点95
[00]打率.316 長打率.654 安打数150 本塁打42 打点108
[01]打率.333 長打率.617 安打数160 本塁打36 打点104
[02]打率.334 長打率.692 安打数167 本塁打50 打点107
ちなみにペタジーニは03年にメジャーへ旅だった松井秀喜の代わりにジャイアンツに入団するものの、一塁のポジションがかぶる清原和博がいたため、外野を守らざるを得なく、その影響か膝や腰を故障し、打席数がヤクルト時代より年間で100以上少なくなってしまいます。
そのジャイアンツにいた2年間の成績は、
[03]打率.323 長打率.683 安打数107 本塁打34 打点81
[04]打率.290 長打率.561 安打数111 本塁打29 打点84
下がってはいますけど、そこまで悲観的にならなくてもいいくらい。
ただし、膝や腰を悪くしていたので、走力はだいぶ衰えたという見られ方をしています。
それでも日本時代の素晴らしい実績をもとにすればメジャー契約できたって不思議ではないように思われます。
ライバルといっていい存在の松井秀喜はヤンキースと3年総額2100万ドルの巨額契約ですよ。
考えられるマイナス要素としては、走力の他にも、ペタジーニは強打を求められる一塁手だったこと、年齢もペタジーニが1971年6月2日生まれ(ベネズエラ出身なので真偽のほどはさだかではありませんが)、松井が1974年6月12日生まれなので3歳違いということになりますから、単純に比較はできません。
それでもかたやマイナー、かたや巨額契約ですから、そこまで差があっていいものなのかと思っちゃいます。
まあ、松井の場合はスポンサーたる日本企業を引き連れているのが大きいんでしょうけど…。
しかも、05年のペタジーニはレッドソックス傘下の3Aポータケットで74試合、打率.327、20本塁打、69打点をあげながらメジャーでは36打席しかもらえなかったんです。
「イチローもマイナー契約ならメジャーには上がれなかった」
これは奇しくもペタジーニと同じ05年にメジャー挑戦した中村紀洋の言葉です。
かつてのミスターフルスイングも、03、04年は怪我による不調で評価を落としていたために、ドジャースからもマイナー契約しか提示されませんでした。
[03]打率.236 長打率.459 安打数90 本塁打14 打点67
[04]打率.274 長打率.468 安打数106 本塁打19 打点66
確かにはひどい成績です…。
中村はアメリカではほとんどを3A(ドジャース傘下のラスベガス)で過ごし、成績は101試合の出場で、打率.249、22本塁打、67打点。
結局、メジャーでは17打席しか与えられず、失意のまま翌年には日本へと帰国しています。
ペタジーニもそうですし、マイナー契約って本当に大変なんですねえ…。
と、ため息をつきそうになりましたけど、中村とペタジーニを同列に比べちゃいけません。
アメリカに渡る前2年間の成績も、3Aでの成績もペタジーニがずっと上ですもの。
上記の中村の発言は世の失笑を買いましたけど、ペタジーニが、「ヒデキもマイナー契約ならメジャーには上がれなかった」といっていたら、みんな頷いたんじゃないでしょうか。
松井のメジャー1年目は打率.287、16本塁打、106打点でしたしね。
ペタジーニの野球人生を見ていると、日本人野手って恵まれているなあ、って思います。

