たかじん委員会、板井復活
私と相方の週末といえば出かけるのはだいたい土曜日で、日曜日はその名の通り休日に当てることが多いんですけど、そんな日曜の午後、お昼ご飯を食べた後にお茶を飲みながらよく視聴する番組が〈たかじんのそこまで言って委員会〉です。
この番組は歌手のやしきたかじんさんが司会となって、三宅久之さんや桂ざこばさん、宮崎哲弥さんといったパネラー陣が政治経済外交からスポーツ芸能などなど、多岐に渡る話題をざっくばらんにしゃべくり倒すのがなんとも面白いですよね。
私と相方は以前関西に住んでいましたから、始まった当初から楽しませてもらっていますけど、長野市に引っ越してきた際は、この番組は関西でしかやっていないと思っていたので半ば諦めていたところ、こちらでも放送されていてとても喜んだのを憶えています(東京方面ではいまだに流れていないそうです)。
と、本日2月27日の〈そこまで言って委員会〉はまず準レギュラーの原口一博衆議院議員(民主党)を吊るし上げる形で今後の政局をあれこれ占っていたのですが、次のコーナーのゲストの名前を聞いたとき、私は慌てて、レコーダーの録画ボタンを押してしまいました。
なんと、あの板井圭介さん(元小結・板井)の出演です!
ここ最近、世間を騒がしている大相撲の八百長問題で、この人の名前や著書は数多語られども、その当人がなかなかメディアに出てこなかったので、私もその身を心配していたんです(テレビ出演は2006年7月の同番組以来だそうです)。
板井さんは顔の整形手術をなさっていて(理由は語らず)、いまの風貌を知られたくないということで顔にモザイクがかかっていましたけど、声や話し方は間違いなく”板井”のもの。
話の内容は特に目新しいものはなかったのもの、耳に残ったのが、「あの3人がいなくなって、最近は本当によくなった(八百長が少なくなったというニュアンス)」という言葉。
3人の名前は明言しませんでしたが、わざわざあの”3人”とくくるのですから、それなりの地位にいた力士であることは想像に難くありません。
これはあくまで私の推測ですが、モンゴル出身の大横綱、ツッパリ大関、野球賭博大関といったところをどうしても思い浮かべてしまいます。
いわれてみれば、この3人がいなくなってから、特に上位陣で、ハラハラするような取り組みが増えた印象がありますよね。
また、板井さんはガチンコの貴乃花グループが協会で力を持てば状況は改善されるし、自分や貴闘力が八百長監視委員になって睨みをきかせれば根絶できるとも語っていました。
そんな板井さんにパネラーから質問がいくつか飛んだのですが、私が唖然としたのは、この日のゲストパネラー田中雅美さん(元五輪水泳選手)の「他のスポーツに八百長はありえない」という発言。
田中雅美さんといえば水泳を引退してからは水泳講師の傍らスポーツコメンテーターとしても活躍なさっていたはず。その肩書きがありながらのこの見識には耳を疑ってしまいました。
ここでいうところの”スポーツの八百長”は、”勝敗を不正に操作する”という意味だと思いますけど(情実、金銭がらみなどなど)、それならば一般的に知られているケースでもいくつもあります。
例えば台湾野球八百長問題、日本プロ野球の黒い霧事件、メジャーリーグのブラックソックス事件、イタリアセリエAのカルチョスキャンダル、ソルトレイク五輪フィギュアスケート・ペア競技の不適切ジャッジといったところは普通に新聞やテレビニュースをご覧になっている方ならすぐに思い出すんじゃないでしょうか。
たぶん、田中さんのいう「スポーツ」は自分が愛する水泳、もうちょっと拡大すればアマチュア競技といった意味かもしれません。
確かに野球の八百長(今回の記事では勝敗の不正操作という意味でこの言葉を使います)はマフィアや暴力団といったところが行っている賭博が背景にありますし、カルチョスキャンダルは巨大なマネーが動くセリエA市場において、チームの関係者が勝利という名の利益ののために審判や協会に不正な影響力を行使していましたから、アマチュア競技にはありえな状況ですよね。
しかし、、残念ながらスポーツの八百長というのは金銭がらみだけではないんです。
ソルトレイク五輪のフィギュアスケートではISU(国際スケート連盟)によって不正ジャッジが認定されているので、アマチュア競技でも国の名誉や威信といったものによる「八百長はある」んです。
このスポーツの八百長というのは噂レベルでは数え切れないほどありますが、証拠が見つかり、当事者が認め、また管轄している協会などがそうと判断したケースはけっこう稀です。
ですから、発覚した八百長問題などは氷山の一角、いや一片くらいなのかもしれません。
こんなことはいいたくはありませんが、私はスポーツから八百長がなくなることはあり得ないと思っています。
人間同士がやることで、そこに情実や利権が絡まないはずがないからです。
しかし、もちろん私は八百長が好きではありません。
だって、勝敗が不正に操作されていたり、もしくはその気配だけでも、観戦したり、応援したりする気持ちが萎えてしまうじゃないですか。スポーツ競技はガチンコだからこそ盛り上がれるんです。
こういった考えというのは多くの人が持っているものだと思います。
そしてその多くの人々が少しずつ払ったお金でスポーツ興行(プロアマ問わず)というのは成り立っているわけです。
八百長行為は興行から魅力を奪うものである、という認識こそが必要なんじゃないでしょうか。
そして最後に、板井さんはかつて(2000年)自分が八百長を告発したとき、最もショックだったのは、マスコミがそれを真正面から扱ってくれなかったことだと悔しそうに語ってらっしゃいました
当時のマスコミは板井さんを怪しげな人物として伝え、大相撲協会を擁護するばかりで、以後、マスコミ不信になったそうです。
私も現在の大相撲の八百長問題で腹が立つのは、メディアや相撲記者なる人たちが手のひらを返したように「八百長は昔からあった」といい始めていることです。
板井さん以前にも大相撲の八百長を告発した人は何人もいます。
その度にメディアや相撲記者は無視を決め込んできました。
それは大相撲を守るためであったのかもしれませんけど、体質が改善されるチャンスをそのつど逃してしまってきたともいえるはずです。
私が今回の記事で田中雅美さんの名前を挙げたのは、田中雅美さんがいままさにメディア側にいる人間だからです。その人が「スポーツに八百長はない」という誤った事実を公共電場に乗せてしまうことが、私には恐ろしいのです。
田中雅美さんといえばシドニー五輪後、一度は引退し、日本水泳連盟を離れ、そこからまた不屈の闘志で復活し、自力でアテネ五輪の代表切符を勝ち取った尊敬すべきアスリートです。
田中さんの競技人生に一片の不正もなかったことは彼女の真っ直ぐな瞳、そしてその生き様が雄弁に物語っています。
しかし、スポーツには田中さんのような高潔な人間ばかりが関わっているのではないこともまた悲しい事実です。
コメンテーターとなったいま、田中さんにはその汚れた部分にも積極的に取材の目を向けて欲しいと願っています。
競技に関わっていた人ほど、その競技に、スポーツに不正はないと信じたいのが人情です。
スポーツ選手じゃなくたって、人は自分のバックボーンや所属先を疑いたくはありません。
しかし、不正が発覚したならばそれを素直に認めるべきです。
大相撲はいまだに元力士で八百長の存在を赤裸々に語る人は少ないですし、フィギュアスケートだってジャッジの不正が認定されながらも、フィギュア解説者なる人たちは常にジャッジやISU擁護の姿勢を崩しません。
私が望むのは間違ったことを「間違っている」といえないのなら、せめて間違っていることを「正しい」といわないで欲しいということです。
沈黙はときに雄弁です。

この番組は歌手のやしきたかじんさんが司会となって、三宅久之さんや桂ざこばさん、宮崎哲弥さんといったパネラー陣が政治経済外交からスポーツ芸能などなど、多岐に渡る話題をざっくばらんにしゃべくり倒すのがなんとも面白いですよね。
私と相方は以前関西に住んでいましたから、始まった当初から楽しませてもらっていますけど、長野市に引っ越してきた際は、この番組は関西でしかやっていないと思っていたので半ば諦めていたところ、こちらでも放送されていてとても喜んだのを憶えています(東京方面ではいまだに流れていないそうです)。
と、本日2月27日の〈そこまで言って委員会〉はまず準レギュラーの原口一博衆議院議員(民主党)を吊るし上げる形で今後の政局をあれこれ占っていたのですが、次のコーナーのゲストの名前を聞いたとき、私は慌てて、レコーダーの録画ボタンを押してしまいました。
なんと、あの板井圭介さん(元小結・板井)の出演です!
ここ最近、世間を騒がしている大相撲の八百長問題で、この人の名前や著書は数多語られども、その当人がなかなかメディアに出てこなかったので、私もその身を心配していたんです(テレビ出演は2006年7月の同番組以来だそうです)。
板井さんは顔の整形手術をなさっていて(理由は語らず)、いまの風貌を知られたくないということで顔にモザイクがかかっていましたけど、声や話し方は間違いなく”板井”のもの。
話の内容は特に目新しいものはなかったのもの、耳に残ったのが、「あの3人がいなくなって、最近は本当によくなった(八百長が少なくなったというニュアンス)」という言葉。
3人の名前は明言しませんでしたが、わざわざあの”3人”とくくるのですから、それなりの地位にいた力士であることは想像に難くありません。
これはあくまで私の推測ですが、モンゴル出身の大横綱、ツッパリ大関、野球賭博大関といったところをどうしても思い浮かべてしまいます。
いわれてみれば、この3人がいなくなってから、特に上位陣で、ハラハラするような取り組みが増えた印象がありますよね。
また、板井さんはガチンコの貴乃花グループが協会で力を持てば状況は改善されるし、自分や貴闘力が八百長監視委員になって睨みをきかせれば根絶できるとも語っていました。
そんな板井さんにパネラーから質問がいくつか飛んだのですが、私が唖然としたのは、この日のゲストパネラー田中雅美さん(元五輪水泳選手)の「他のスポーツに八百長はありえない」という発言。
田中雅美さんといえば水泳を引退してからは水泳講師の傍らスポーツコメンテーターとしても活躍なさっていたはず。その肩書きがありながらのこの見識には耳を疑ってしまいました。
ここでいうところの”スポーツの八百長”は、”勝敗を不正に操作する”という意味だと思いますけど(情実、金銭がらみなどなど)、それならば一般的に知られているケースでもいくつもあります。
例えば台湾野球八百長問題、日本プロ野球の黒い霧事件、メジャーリーグのブラックソックス事件、イタリアセリエAのカルチョスキャンダル、ソルトレイク五輪フィギュアスケート・ペア競技の不適切ジャッジといったところは普通に新聞やテレビニュースをご覧になっている方ならすぐに思い出すんじゃないでしょうか。
たぶん、田中さんのいう「スポーツ」は自分が愛する水泳、もうちょっと拡大すればアマチュア競技といった意味かもしれません。
確かに野球の八百長(今回の記事では勝敗の不正操作という意味でこの言葉を使います)はマフィアや暴力団といったところが行っている賭博が背景にありますし、カルチョスキャンダルは巨大なマネーが動くセリエA市場において、チームの関係者が勝利という名の利益ののために審判や協会に不正な影響力を行使していましたから、アマチュア競技にはありえな状況ですよね。
しかし、、残念ながらスポーツの八百長というのは金銭がらみだけではないんです。
ソルトレイク五輪のフィギュアスケートではISU(国際スケート連盟)によって不正ジャッジが認定されているので、アマチュア競技でも国の名誉や威信といったものによる「八百長はある」んです。
このスポーツの八百長というのは噂レベルでは数え切れないほどありますが、証拠が見つかり、当事者が認め、また管轄している協会などがそうと判断したケースはけっこう稀です。
ですから、発覚した八百長問題などは氷山の一角、いや一片くらいなのかもしれません。
こんなことはいいたくはありませんが、私はスポーツから八百長がなくなることはあり得ないと思っています。
人間同士がやることで、そこに情実や利権が絡まないはずがないからです。
しかし、もちろん私は八百長が好きではありません。
だって、勝敗が不正に操作されていたり、もしくはその気配だけでも、観戦したり、応援したりする気持ちが萎えてしまうじゃないですか。スポーツ競技はガチンコだからこそ盛り上がれるんです。
こういった考えというのは多くの人が持っているものだと思います。
そしてその多くの人々が少しずつ払ったお金でスポーツ興行(プロアマ問わず)というのは成り立っているわけです。
八百長行為は興行から魅力を奪うものである、という認識こそが必要なんじゃないでしょうか。
そして最後に、板井さんはかつて(2000年)自分が八百長を告発したとき、最もショックだったのは、マスコミがそれを真正面から扱ってくれなかったことだと悔しそうに語ってらっしゃいました
当時のマスコミは板井さんを怪しげな人物として伝え、大相撲協会を擁護するばかりで、以後、マスコミ不信になったそうです。
私も現在の大相撲の八百長問題で腹が立つのは、メディアや相撲記者なる人たちが手のひらを返したように「八百長は昔からあった」といい始めていることです。
板井さん以前にも大相撲の八百長を告発した人は何人もいます。
その度にメディアや相撲記者は無視を決め込んできました。
それは大相撲を守るためであったのかもしれませんけど、体質が改善されるチャンスをそのつど逃してしまってきたともいえるはずです。
私が今回の記事で田中雅美さんの名前を挙げたのは、田中雅美さんがいままさにメディア側にいる人間だからです。その人が「スポーツに八百長はない」という誤った事実を公共電場に乗せてしまうことが、私には恐ろしいのです。
田中雅美さんといえばシドニー五輪後、一度は引退し、日本水泳連盟を離れ、そこからまた不屈の闘志で復活し、自力でアテネ五輪の代表切符を勝ち取った尊敬すべきアスリートです。
田中さんの競技人生に一片の不正もなかったことは彼女の真っ直ぐな瞳、そしてその生き様が雄弁に物語っています。
しかし、スポーツには田中さんのような高潔な人間ばかりが関わっているのではないこともまた悲しい事実です。
コメンテーターとなったいま、田中さんにはその汚れた部分にも積極的に取材の目を向けて欲しいと願っています。
競技に関わっていた人ほど、その競技に、スポーツに不正はないと信じたいのが人情です。
スポーツ選手じゃなくたって、人は自分のバックボーンや所属先を疑いたくはありません。
しかし、不正が発覚したならばそれを素直に認めるべきです。
大相撲はいまだに元力士で八百長の存在を赤裸々に語る人は少ないですし、フィギュアスケートだってジャッジの不正が認定されながらも、フィギュア解説者なる人たちは常にジャッジやISU擁護の姿勢を崩しません。
私が望むのは間違ったことを「間違っている」といえないのなら、せめて間違っていることを「正しい」といわないで欲しいということです。
沈黙はときに雄弁です。


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