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命を大切にする教育って

本当に残虐な事件というのは、その報道そのものから目を背けたくなるものですが、いま巷を騒がしている長崎県佐世保市の女子高生殺害事件などは、私もテレビニュースでそのテロップが流れただけでチャンネルを変えてしまっています。
事件のあらましや流れは活字で見ているので、もうそれで十分、という気持ちなのです。
正直いって、あまり考えたくない、というくらいの後ろ向きの姿勢になっています。

しかし、7月28日~29日にかけての各局のテレビニュースで、「命を大切にする教育」という言葉が繰り返されているのを聞いて、少しずつ考えが変わってきました。
報道によると、佐世保市では、2004年6月にあった〈佐世保小6女児同級生殺害事件〉を受けて、この10年間、毎年6月を〈いのちを見つめる強調月間〉と名付け、道徳教育に力を入れてきたというのです。
その内容はというと、動植物の育成、原爆投下や佐世保空襲などの戦争に関する勉強、難病に立ち向かう家族愛の講話など、様々だったようですが、どうも私にはピンときません。
もちろん、その内容が悪いといっているのじゃありません。
ただ、〈佐世保小6女児同級生殺害事件〉から始まっているのだったら、その事件をもっと直視するべきなんじゃないかと思うわけです。

〈佐世保小6女児同級生殺害事件〉は、授業時間中の空き教室で、小6の女児が同級生の女児の首をカッターナイフで切り落とさんばかりに刺し、殺害した事件です。
このあまりにも残虐な事件は、被害者家族と当該小学校の児童や教職員だけではなく、警察や救急の職員にまでも心に深い傷を負わせ(PTSD)、いまだに立ち直れていないひと多いという報道もありました。
日本全体がショックを受けたのはいうまでもありません。
しかも、これは佐世保市ではありませんが、2003年7月には同じ長崎県の長崎市で、中学1年の少年が4歳の男児を連れ去り、家電量販店の屋上で異常な虐待を加えた挙句、そこから突き落として殺害するという惨たらしい事件があったばかりだったのです。
1年もしない間に、同じような年齢による事件が繰り返されたことに、私も愕然としたのを憶えています。

そしてまた今回の事件です。
いったい”命を大切にする教育”ってなんなんでしょう?

少年による重大犯罪で、私がどうしても日本と比較してしまうのは、1993年にイギリス・リバプールで起きた〈ジェームス・バルガー事件〉です。
これは10歳の少年2人が、2歳の幼児を拉致し、筆舌に尽くしがたい暴行を加えて殺害した後、遺体を線路の上に放置して、事故死に見せかけようとした犯罪ですが、あまりにも残虐な事件にイギリス全体が震撼したのはいうまでもありません。
イギリスにももちろん少年法はありますから(刑事責任は10歳以上)、普通ならば公開の裁判にはならないのですが、ことの重大さから事件は成人同様の形で裁かれ、名前も写真も映像も隠されることはありませんでした。
ただし、刑罰の方は少年なので、”更生”が考慮されたのはいうまでもありません。
ところが、10年の収監という判決が下ると、世論は「軽すぎる!」という怒りの声を上げ、大衆紙ザ・サンが2少年の終身刑を求める30万の署名を集めるなどすると、当時の法務大臣は刑期を15年に延ばすと決定したのです。
これは後にイギリス最高裁判所が”違憲”と判断し、刑期を8年に短縮していますが、私は国民やマスコミが、「許せない!」と叫んだことにこそ意味があったと思っています。

翻って日本ではどうでしょう?
少年少女の重大犯罪が起きると、マスコミや有識者、市民団体みたいなところはみな、”加害者”の生い立ちだの人権だのの話ばかり。そして、国民はショックで立ち尽くす(私がそうです)。
本来ならば、事件を”憎む”、”憤る”、というのが先にきて当たり前です。
そうでなければ被害者が浮かばれません。
”命”は大切にされていないのです。
そして、そういう大人たちの態度は子供たちにどういう影響を与えるのでしょう?
はたして、”命は大切だ”と思ってくれるのでしょうか。

私はなにも少年法の厳罰化を求めているのではありません。
まずは、日本社会全体が重大事件を”忘れない”、”許さない”という意思を強く示すことが大切だといいたいのです。
法律に刑期はあっても、道徳にそれはない。
永遠の罪のなかにこそ命の重さがある、私はそう思うのです。
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