演出総括は野村萬斎さんの運命
それにしても今日(7月31日)も暑いですねえ。夏はまだまだこれからと考えるとぐったりしてきます。
まあ、この2018年の暑さは異常事態だとは思うんですけど、やはり気になるのは2020年東京五輪です。
日程が7月24日~8月7日ということで、今年に置き換えれば、選手も観客も灼熱地獄を味わうことになってしまいます。
打ち水やサマータイムといった対策案が出ていますけど、結局は耐えるしかないんでしょうねえ。
そんなわけで五輪の懸案事項としては”暑さ”が目立っているわけですけど、交通や宿泊、治安やサイバーテロ対策、ボランティアの確保なども忘れてはならず、課題山積といった状況です。
しかし、日本・東京ならしっかりやってくれるでしょう。
私は政治家ではなく、事務方(官僚)のチカラを信じています。
”決められた仕事”を貫徹することにおいて、日本人はどの国の人間よりも優秀だと思いますからね。
しかし、自由な想像力が求められる仕事はどうなのか。
私でなくても多くのひとが心配しているのは開会式(閉会式も)の演出のはずです。
一定の年代以上の方は98年長野五輪のそれがトラウマになっているに違いありません。
最近の五輪の開会式はどの大会も印象に残るような素晴らしい仕上がりになっているので、下手を打てば悪目立ちするのは必定です。
12年ロンドン五輪などのように世界中で絶賛されなくても、日本がある程度のレベルに達することができるのか、個人的には開会式こそが東京五輪での最大の懸案事項です。
そこでの注目はやはり誰が総合演出を担うかということです。
近年の五輪を見れば、その国出身の”世界的な”演出家(舞台やイベント)や映画監督がその任に当たるわけですが、悲しいかな日本にはその”世界的な”人材が存在しません。
世界市場に目を向けた舞台演劇や映画がないことはもちろん、大規模イベントに関連するショーやイベント自体がほとんどないので人材も育ちにくく、経験も積みにくいわけです(※北米ならばアカデミー賞授賞式の演出やスーパーボールのショーやディズニーランドなどのイベント、欧州ならばCL決勝のショーやモーターレース関連のイベント)。
ですから、日本では”国内事情”での人選になってしまい、その結果が長野五輪だったような気がしてなりません。
その国内事情と世界的知名度を勘案したなかで、私が当初予想していた総合演出は北野武さんでした。
東京都出身であり、現存しているなかで最も世界に知られた映画監督ですからね。
しかし、昨年12月に組織委員会が任命した演出チーム8人のなかに北野さんの名前はありませんでした。
これは私にはちょっと意外だったんですけど、北野さんは2015年に「最近の五輪はナチス五輪みたいに国の威力を見せつけるようになってしまっている。国旗・国歌も国と国との戦いに結びつくのでいらない。東京には韓国人も中国人もいるのだから、開会式なんかは彼らも巻き込んだアジア文化のオープニングにすべきだ」という発言をしているので、その政治色の濃さが敬遠されたのかもしれませんね。
私もこういう考えのひとはちょっと…。
そうして私も脳内であれこれと人選をしているなか、昨日7月30日、組織委員会から発表された演出総括は”狂言師の野村萬斎さん”。
これまた大いに意外でした。
萬斎さんは演出チームの8人に選ばれていましたけど、組織委員会は演出チームの外から総括を選ぶようなことを仄めかしていましたし、萬斎さんはチームのなかではアクター寄りの人材です。
私が知っている限りでも調べた限りでも、萬斎さんは巨大イベントの演出やプロデュースはしたことがありません。
正直いってかなり不安です。
(狂言師としては大好き。お金を払って観たい狂言方。)
…しかし世界的な演出家がいない日本において、五輪開会式をそれなりのものにするならばソチ五輪のときのようなものになるでしょうし、そうなれば総括は萬斎さんが適任なのかもしれません。
ここ最近の五輪では、北京のチャン・イーモウ、ロンドンのダニー・ボイルなど、ビッグネームがその名において手がけるケースが多かったわけですけど、ソチでは”これ”といった人物を置かず、チーム形式だったようです。
プログラムもロシアの歴史や文化を紹介することをメインに(テーマは『ロシアの夢』)、バレエやサーカス、クラシック音楽といた”伝統芸能”をベースに、ゴージャスで格式高いものになっていました。
今日31日に会見を開いた萬斎さんは、「深層的な和を表現できれば」といっていましたし、ベースは伝統芸能になるのでしょう。
そこにリオ五輪のフラッグハンドオーバーセレモニーで好評だった日本の近代性やサブカルチャーを融合させることになるのは、そのときのチームと今回でメンバーが被っているので想像はできます。
また、2020東京五輪は3・11からの復興五輪であること、そして開催期間に終戦記念日も含まれていることから、萬斎さんは「鎮魂と再生」というテーマも語っていました。
この「鎮魂と再生」というのは、夢幻能(僧侶がワキで前シテがそれに弔いを頼む複式能)のテーマそのものなので、萬斎さんもそこを強調していましたね。
いまの能狂言界で五輪開会式のような仕事ができるのは萬斎さんくらいしか見当たりませんし、これもまた運命なのでしょう。
ただ、”伝統芸能”というならば、東京五輪=江戸五輪なのですから、江戸文化の華である歌舞伎だって、いや歌舞伎こそが五輪開会式に相応しいもののはずです。
それが演出チームにすら加わっていないのですから歌舞伎界では面白くない思いをしているひともいるかもしれません。
組織委員会に助言を行う〈文化・教育委員会〉には歌舞伎からもひとが入っていたのに…。
萬斎さんの手腕と同様に、今後の歌舞伎界の動きにも注目です。

まあ、この2018年の暑さは異常事態だとは思うんですけど、やはり気になるのは2020年東京五輪です。
日程が7月24日~8月7日ということで、今年に置き換えれば、選手も観客も灼熱地獄を味わうことになってしまいます。
打ち水やサマータイムといった対策案が出ていますけど、結局は耐えるしかないんでしょうねえ。
そんなわけで五輪の懸案事項としては”暑さ”が目立っているわけですけど、交通や宿泊、治安やサイバーテロ対策、ボランティアの確保なども忘れてはならず、課題山積といった状況です。
しかし、日本・東京ならしっかりやってくれるでしょう。
私は政治家ではなく、事務方(官僚)のチカラを信じています。
”決められた仕事”を貫徹することにおいて、日本人はどの国の人間よりも優秀だと思いますからね。
しかし、自由な想像力が求められる仕事はどうなのか。
私でなくても多くのひとが心配しているのは開会式(閉会式も)の演出のはずです。
一定の年代以上の方は98年長野五輪のそれがトラウマになっているに違いありません。
最近の五輪の開会式はどの大会も印象に残るような素晴らしい仕上がりになっているので、下手を打てば悪目立ちするのは必定です。
12年ロンドン五輪などのように世界中で絶賛されなくても、日本がある程度のレベルに達することができるのか、個人的には開会式こそが東京五輪での最大の懸案事項です。
そこでの注目はやはり誰が総合演出を担うかということです。
近年の五輪を見れば、その国出身の”世界的な”演出家(舞台やイベント)や映画監督がその任に当たるわけですが、悲しいかな日本にはその”世界的な”人材が存在しません。
世界市場に目を向けた舞台演劇や映画がないことはもちろん、大規模イベントに関連するショーやイベント自体がほとんどないので人材も育ちにくく、経験も積みにくいわけです(※北米ならばアカデミー賞授賞式の演出やスーパーボールのショーやディズニーランドなどのイベント、欧州ならばCL決勝のショーやモーターレース関連のイベント)。
ですから、日本では”国内事情”での人選になってしまい、その結果が長野五輪だったような気がしてなりません。
その国内事情と世界的知名度を勘案したなかで、私が当初予想していた総合演出は北野武さんでした。
東京都出身であり、現存しているなかで最も世界に知られた映画監督ですからね。
しかし、昨年12月に組織委員会が任命した演出チーム8人のなかに北野さんの名前はありませんでした。
これは私にはちょっと意外だったんですけど、北野さんは2015年に「最近の五輪はナチス五輪みたいに国の威力を見せつけるようになってしまっている。国旗・国歌も国と国との戦いに結びつくのでいらない。東京には韓国人も中国人もいるのだから、開会式なんかは彼らも巻き込んだアジア文化のオープニングにすべきだ」という発言をしているので、その政治色の濃さが敬遠されたのかもしれませんね。
私もこういう考えのひとはちょっと…。
そうして私も脳内であれこれと人選をしているなか、昨日7月30日、組織委員会から発表された演出総括は”狂言師の野村萬斎さん”。
これまた大いに意外でした。
萬斎さんは演出チームの8人に選ばれていましたけど、組織委員会は演出チームの外から総括を選ぶようなことを仄めかしていましたし、萬斎さんはチームのなかではアクター寄りの人材です。
私が知っている限りでも調べた限りでも、萬斎さんは巨大イベントの演出やプロデュースはしたことがありません。
正直いってかなり不安です。
(狂言師としては大好き。お金を払って観たい狂言方。)
…しかし世界的な演出家がいない日本において、五輪開会式をそれなりのものにするならばソチ五輪のときのようなものになるでしょうし、そうなれば総括は萬斎さんが適任なのかもしれません。
ここ最近の五輪では、北京のチャン・イーモウ、ロンドンのダニー・ボイルなど、ビッグネームがその名において手がけるケースが多かったわけですけど、ソチでは”これ”といった人物を置かず、チーム形式だったようです。
プログラムもロシアの歴史や文化を紹介することをメインに(テーマは『ロシアの夢』)、バレエやサーカス、クラシック音楽といた”伝統芸能”をベースに、ゴージャスで格式高いものになっていました。
今日31日に会見を開いた萬斎さんは、「深層的な和を表現できれば」といっていましたし、ベースは伝統芸能になるのでしょう。
そこにリオ五輪のフラッグハンドオーバーセレモニーで好評だった日本の近代性やサブカルチャーを融合させることになるのは、そのときのチームと今回でメンバーが被っているので想像はできます。
また、2020東京五輪は3・11からの復興五輪であること、そして開催期間に終戦記念日も含まれていることから、萬斎さんは「鎮魂と再生」というテーマも語っていました。
この「鎮魂と再生」というのは、夢幻能(僧侶がワキで前シテがそれに弔いを頼む複式能)のテーマそのものなので、萬斎さんもそこを強調していましたね。
いまの能狂言界で五輪開会式のような仕事ができるのは萬斎さんくらいしか見当たりませんし、これもまた運命なのでしょう。
ただ、”伝統芸能”というならば、東京五輪=江戸五輪なのですから、江戸文化の華である歌舞伎だって、いや歌舞伎こそが五輪開会式に相応しいもののはずです。
それが演出チームにすら加わっていないのですから歌舞伎界では面白くない思いをしているひともいるかもしれません。
組織委員会に助言を行う〈文化・教育委員会〉には歌舞伎からもひとが入っていたのに…。
萬斎さんの手腕と同様に、今後の歌舞伎界の動きにも注目です。


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