早すぎるぞ、貴ノ浪

一昨日6月20日、元大関・貴ノ浪(現・音羽山親方)が急死したとの速報がテレビで流れたとき、私も本当に信じられない思いでした。
確かに貴ノ浪は現役当時から心臓が悪く、引退した翌々年の2006年には一時、生死の境を彷徨ったこともありましたけど、そこから復活してからは相撲協会の仕事だけではなく、最近ではテレビのバラエティ番組でも元気な姿を見せていて、もうすっかり体調もよくなったものだと思っていました。
しかし、翌21日の報道によると、貴ノ浪(こう呼びます)は昨2014年に胃癌が見つかって手術を受けていたというのです。
今回の急死は滞在先の大阪のホテルで、朝に心停止状態で見つかって、蘇生措置も間に合わなかったとのことですから、癌によってまた心臓の方も悪くなってしまっていたのかもしれませんね。
それにしても1971年10月生まれの43歳、まだまだ若すぎますよ…。

私は貴ノ浪のファンだったわけではありませんが、彼と武蔵丸の対戦だけは本当に大好きでした。
2人は同じ1971年生まれ、初土俵も同じく91年の九州場所、大関となったのも94年の初場所後のW昇進という、まさに奇縁。幕内対戦58回というのも大相撲記録です。
そんな58回の対戦のなかで、2人は昇進を争い、賜杯を争ってきたわけですけど、関係が変わってきたのは1999年、貴ノ浪に衰えが目立ち始めるのとは逆に武蔵丸は横綱に昇進してゆき、翌2000年には貴ノ浪は大関を陥落することとあいなりました。
でも、私はそこからの2人の対戦こそが記憶に焼き付いています。

武蔵丸の前に立った時だけ”大関の顔”になる貴ノ浪、そして武蔵丸もまた彼を同格の相手とみなし、激しく火花を散らす。
貴ノ浪は生涯で2つの金星を挙げていますが、それは両方とも大関陥落後に武蔵丸からもぎとったものです。
「あいつの前でだけは恥ずかしい真似はできない」といわんばかりの貴ノ浪の相撲、それを地位も肩書も関係なしに真正面から受け止める武蔵丸の度量、そんな取り組みはまさに男と男の戦い、そこに観客と視聴者は痺れたんです。
そして土俵上の貴ノ浪は勝っても負けてもどこか楽しそうな顔をしていました。心根が素直だったのでしょう。それがまた観る者の心をくすぐった。
好敵手がいることが、仕事を、人生を、こんなにも楽しいものにするのか。
貴ノ浪の相撲は土俵を超えて、ひとびとの心に訴えるものがあった思います。

そんな貴ノ浪は多くの関取を輩出し続けていることで知られる青森県の出身(三沢市)。
本場所では呼び出しが出身地をいうので、まさに郷土の誇りです。
ですが、私は前に青森市に遊びにいったとき、変わった経験をしたんです。
私は旅行先ではタクシーの運転手さんとの会話のなかで地元情報を探るのを常としているのですが、青森といえば大相撲ですから、当時大関として輝いていた貴ノ浪の話を振ったんです。
そしたら、運転手さんに「貴ノ浪は南部のひとだから」と素っ気なく返され、話はそこで終わり。

青森県は津軽地方(県西部)と南部地方(県南東部)で歴史的に対立があることは私も少しは知っていましたけど、現代でもそれがはっきりと残っていることには戸惑いました。
調べてみると両者の溝というのは相当に深く、方言や風習もだいぶ違うので、同じ県でありながら、赤の他人という思いが強いのかもしれませんね。
県ができて140年という長さを考えるとちょっと寂しいですけど…。

ただ、今回の貴ノ浪の訃報に際しては、青森県出身の力士や元力士たちがこぞってその”懐の深い”人柄を偲んでいるんです(東奥日報)。
津軽地方に属する弘前市の若の里と岩木山も、深浦町の安美錦も、板柳町の高見盛と追風海も。
これは貴ノ浪が青森県をひとつにする存在だったことの証左です。

失ってしまったものはあまりにも大きい。
けれども残してくれたものもまた大きい。
2メートルの巨躯と大らかな笑顔が忘れられません。
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