澤さんの清々しい引退

12月16日(2015年)、そのドラマチックな現役生活を終えることを発表した澤穂希ですが、昨日17日に開かれた記者会見では、悔いなくやり切った人間のみが見せる、いい表情をしていました。
37歳のこれまで山あり谷ありのサッカー人生だったでしょうけど、本人が最大の思い出と語る2011年のW杯制覇とMVP獲得、ロンドン五輪での銀メダルなど、晩年が栄光に溢れているだけに本当に幸せな選手生活だったと思います。
もちろん、その幸福は我々日本国民も共有したものであり、澤さんからもらった宝物でもあります。
本当にありがとう、澤さん、あなたはやっぱり伝説だ!

その澤穂希といえば、多くのサッカーファンは、15歳で代表に選ばれた”天才サッカー少女”としてその存在を初めて認識したはずです。
中学校から読売サッカークラブに所属していたため、ラモス瑠偉や都並敏史や松木安太郎に引きずり出される格好で、テレビのスポーツバラエティなんかによく出ていましたよね。
私も澤さんを知ったのは、公式戦ではなく、男子選手や芸能人との遊びの試合でした。
そういう試合のなかで、澤さんは当たり負けしない体格の良さと、野性味あふれるプレイで男性たちをたじろがせていたのをよく憶えています。
なので、私は最初、女子の代表というのは澤さんみたいな選手ばかりだと思っていたんです。
ところが、女子代表の試合の様子をテレビで観てみると、まだ十代だというのに澤さんはまったくの別物。
技術ももちろん高かったんでしょうけど、それよりも当たりや出足といったフィジカルと気迫が群を抜いていました。
室内犬のなかに野犬が混じっているような感じといえばいいんでしょうか(失礼な例えですみません)、ひとりだけ”世界標準”だったのだと思います。

澤さんが若かった90年代の女子代表というのは、いまのように強くなくて、95年の第2回W杯でも、女子サッカーが正式種目となった96年のアトランタ五輪でも、出場は果たしたものの、インパクトのある結果は残せず、メディアの扱いも小さなものでした。
それが最初に脚光を浴びたのは、〈なでしこジャパン〉という愛称を付けて初めて臨んだ2004年のアテネ五輪でした。
そこで五輪初勝利を挙げた女子代表はベスト8に進み、ボンバー荒川恵理子などのニュースターも生まれ、”澤だけのチーム”から徐々に脱却していったように思います。
また、その後のW杯、五輪を目指す新チームでは、宮間あやや大野忍、大儀見(当時は永里)優季、阪口夢穂といった現在の主力たちが生きのいい若手として台頭し始めたわけです。
その若手たちがみんな澤さんに憧れ、澤さんの背中に引っ張られて成長していったことはいうまもでもありません。

そうしているうちに代表での澤さんは”絶対的な存在”から重要ではあるものの”ひとつのピース”になっていきました。
しかし、それは少しも寂しいことではありません。
それは代表と日本女子サッカーの進歩そのものなのです。
澤穂希という選手がいなければ、その進歩は残念なほどに緩やかなものだったことでしょう。
澤穂希というエネルギーの塊のような選手が残した功績はピッチのなかだけに留まりません。

「自分自身の気持ちをことばにすることはかつて無いほど困難なことに感じられます。ただ私自身の心の中にはっきりとある感情は、澤選手への敬意と感謝です。澤選手のいないサッカー界は二度と同じ世界にはなりません。しかし、澤選手と一緒にプレーする時間に恵まれた私たちは、澤選手が与えてくれたすべてをつないでいく役割が残されています。新しい歴史を作ることで、澤選手が作った歴史をより一層美しいものにしていきたいと思います」。
澤さんから代表のキャプテンを引き継いだ宮間あやは、澤さんの引退について記者から聞かれ、「澤さんの会見が終わるまでは」といったん断りを入れた後、上記のコメントを発表しました。
この美しい態度と美しい言葉はどうでしょう。
これぞ大和撫子です。
澤さんが引退会見で清々しい表情をしていたのも、こういう頼もしい後輩がいるからなんだと思います。
本当に幸せですね、思い残すことはないでしょう。

…ただ、私の個人的な思いとしては、来季、澤さんのチームと長野パルセイロレディースが戦うのを観たかったんですけどね!
そのかわりといってはなんですが、澤さんのラストゲームとなる皇后杯のテレビ放送を楽しみにしています!
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