『真田丸』第8話、『調略』

真田信繁(幸村)の父真田昌幸は、史実でわかっているだけでも沼田城と岩櫃城をえげつない謀略によって我が物にしていますし、武田滅亡後はあちこちの大勢力を天秤にかけ、どこかに下ったと思っても、時世を見てはすぐさま裏切る、を繰り返していた武将ですから、まさしく”表裏比興の者”でした。
自家存続のためとはいえ、どんな汚いことも厭わないその生き様は、お茶の間のヒーローである大河ドラマの主人公に向いているとはいえません。
しかし、真田昌幸はいくつもの小説でその活躍が描かれていますし、歴史ファンで嫌いなひとはいないはずです。
その理由はいくつかあるわけですが、まずは上杉、北条、徳川という大勢力に囲まれる信濃の小領主という難しい立場でありながら、知略と胆力によって己の価値を下げることなく領地を守り抜いたところ、そして表裏比興の者と呼ばれながらも、武田信玄や豊臣秀吉といった、自分が「これぞ」と見込んだ対象には忠義を尽くし、一欠けらの逆心も持たなかったところ、そういう戦国武将としての実力と人間味のバランスこそが人気の秘密だと思うんです。

ですから私は今回の『真田丸』第8話、『調略』には大きな不満を感じています。
第7話では、織田信長亡き後の空白に乗じて信濃に進行してきた北条軍に対し、すでに北信を抑えていた上杉軍はそれを迎え撃つ体制に入ったため、信濃の領主たちは”どちらにつくか”の選択に迫られます。
昌幸はいったんは上杉に従ったものの、すぐさま北条に寝返り、その遅参を詫びる手土産として海津城代(北信の城)の春日信達を調略したと報告します。
ここまではおおよそ史実なのですが、『真田丸』では、昌幸がその調略をわざと上杉に知らせることで戦局を変え、北条軍を信濃から撤退させたという筋書きにし、草刈正雄さん演じる昌幸の「これからの信濃は国人たちで治めてゆく!」というセリフで第8話を締めくくったわけです。

これには私も唖然としました。
この天正10年(1582年)というのはすでに戦国時代も終盤に差し掛かった時期で、加賀を国人(一向宗)たちが支配したり、堺を商人たちが治めていたそれまでとは状況が違いすぎます。
日本各地に大勢力が生まれ、そのなかには”天下”を窺う大名もいるなかで、小領主たちはどこかの傘下にならなければ吹いて飛ばされるような時世です。史実の昌幸だって、「どこが最後に勝ち残るのか…」と必死に考えあぐねる毎日だったに違いありません。
それを独立自治みたいなことをいわせるなんて脚本の三谷幸喜の見識を疑います。
しかも、昌幸が調略をかけて騙し討ちする春日信達は昌幸と同じく旧武田家臣であり、武田四天王としても名高い高坂弾正の次男なんです。
昌幸は生前の高坂弾正にはよくしてもらっていたという説もあるのに(同じく領国が信濃だったためでしょう)、その息子を独立自治などという世迷言のための道具にして殺すなど、歴史ファンはもちろん視聴者だって気分が悪いに決まっています。

まあ、これも作品のどこかで昌幸の謀略を描き、戦国乱世を生き延びることの厳しさを主人公である甘ったれの息子、信繁に伝えるという話を盛り込みたかったわけでしょうけど、そのために春日信達を使ったことは失敗だったとしかいいようがありません。ここまで魅力的だった草刈昌幸の男を下げたといっていいでしょう。
私もがっかりすると同時に大いに憤慨しています。
今後、昌幸は豊臣方になるわけですけど、そのときはどういう理由づけにするのでしょう。
春日信達を謀殺してまで手に入れた独立自治とやらをどうやって手放すのか、いまから興味津々です。
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