独善的なデモ禁止処分

いわゆる〈ヘイトスピーチ対策法〉が6月3日(2016年)に施行され、ヘイトスピーチとは何なのか、言論の自由は守られるのか、もやもやが残る今日この頃ですが、川崎市で5日に予定されていた〈川崎発!日本浄化デモ第三弾〉というデモが、「ヘイトスピーチが行われる可能性がある」として、横浜地方裁判所川崎支部が”禁止”の仮処分を決定したのは、私にはちょっと驚きでした。

裁判所は、「デモの計画者のなかに、川崎市内の朝鮮人が多く住む地区において、過去に民族差別的な言動を繰り返している男がいる」というのを理由にしていますけど、その男性というのはその言動で立件されたりしているのでしょうか?調べてみてもそういう事実はないようですが…。
それなのに、「可能性がある」というだけで、憲法で保障されているデモを禁止するというのは乱暴としかいいようがありません。
川崎市がヘイトスピーチ対策法を理由に公園の使用を許可しなかったのもいきすぎといえるでしょう。
デモは許して、その内容をじっくり視察して、問題があれば、そこで取り締まるなり告発するなりすればいいだけです。
それが立憲主義であり、法治国家というものだと思います。

ちなみに神奈川県警と神奈川県公安委員会は、このデモに対して道路の使用を許可しています。
条例では、「集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外は、これを許可しなければならない」とあるので、これに従ったというわけです。
警察にしても、反対派とのいざこざなどトラブルが必至ですから、デモの開催は出来れば止めて欲しいでしょうけど、それでも許したところに順法精神を感じます。
法というのは自分の都合で勝手に解釈してはならないということです。

それにしても、昨年の安保法制の議論の際に、「憲法を守れ!」と声高に叫んでいた民主党(現民進党)や共産党、法律家やマスコミは、今回のデモ禁止処置に関して何もいわないのでしょうか?
誰かが主義主張を発信しようとした際に、それが「何々の可能性がある」といって、行政や裁判所がそれを阻止しようとするなど、こんなに恐ろしいことはありません。
言論の自由が失われれば民主主義は死んでしまいます。
民主主義というのは、ひとびとが自由に意志を表明し、ひとりひとりが、それを聞き、考えて、集団としての結論を出すものです。
それが出来ない国家を我々は独裁国家と呼びます。
私は日本をそんな国にしたくはありません。
ですから、私だって「こんなデモはいらないのではないか」と思うようなものでも反対はしません。
デモの種類で許可不許可を決めるなど、まさに独裁的な考えですからね。
その意味で、野党やマスコミというのはまさに独裁者です。
たとえば、国会前の安保反対集会やデモを、「内乱罪や騒乱罪、外観誘致罪の可能性がある」といって、国や裁判所が禁止したら、彼らは大反発するに決まっています。絶対に「憲法違反だ!」というはずです。それはまさに独善です。

その独善でいうと、マスコミは今回の川崎デモをまるでヘイトスピーチのためのデモのように報じていますけど、主催者が発表している概要によると、反日政治家・反日マスコミ・反日外国人に対する糾弾、日本人差別反対、行政による在日朝鮮人に対するバラマキ補助への反対、といった内容しか書かれていません。
これはまさに偏向報道といっていいでしょう。
もちろん、デモをするひとたちには穏やかな行動を求めたいですけどね。

私は真の意味でのヘイトスピーチには反対ですが、それを拡大解釈して言論の自由を奪うことにはもっと反対です。
憲法も自分勝手な解釈はしたくありません。
独裁者にはなりたくないのです。
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