浅田真央、引退

”現役引退”というのはどんなスポーツ選手も通る道ですし、その現役生活が晩年に差し掛かれば、ファンの側も”そのとき”を見据えながらの応援になるものです。
その意味で浅田真央の引退発表は衝撃的でした。
私も含め、多くのひとが五輪のある来季こそが”そのとき”だと思っていたはずです。
五輪への出場権を得て本当の意味での集大成の演技で現役を終えるのか、それとも出場争いで涙を呑んでリンクを離れるのか…。
そんな最後のシーズンへの覚悟はみんな出来ていたんです。
それだけに、昨日2017年4月10日午後10時51分、公式ブログに本人から投稿された引退メッセージには虚をつかれました。
日本全体がそうだったことでしょう。
一夜明け、私も少し落ち着いたつもりですが、何かがずれているような感覚が抜けません。

しかし、これは受け入れなければならない現実です。
稀代のスーパーヒロインが自ら下した大きな決断なのですから、我々はそれをしっかり受け止める必要があります。
これまで浅田さんが与えてくれた大いなる興奮と歓喜を考えれば、我々は感謝と労いの言葉を贈るしかないのです。

浅田真央という選手は、おかしなルールと政治によってフィギュアスケートが抑圧されていた時代、選手たちが自分の限界を伸ばせなった時代、挑戦が否定されていた時代にあって、ただひとりその理不尽に抗い続けた選手でした。
また、その理不尽を際立たせる選手でもありました。
ちょうど日本の国も閉塞感に包まれていた時代だっただけに、彼女の存在は競技を超えたものになっていったのかもしれません。
彼女は暗闇のなかの希望、泥に咲く美しい一輪の蓮の花、我々にとって光そのものだったのです。

そして、その光は我々を暖かく照らすだけではなく、力強く導く光でもありました。
競技会を「試合」と呼んで、真剣勝負に臨む姿。
無謀といわれようと限界への挑戦を止めなかった姿。
どんなに不利な状況にも泣き言をいわなかった姿。
そんな彼女に感情を揺さぶられなかった日本人はいないはずです。

もちろん彼女はフィギュアスケーターしても稀有の存在です。
トリプルアクセルという夢のジャンプを操るだけでなく、氷が彼女を運んでくれるような滑らかなスケート、強靭かつスタイルのいい身体を自由自在に躍らせる美しい演技、そして無尽蔵のスタミナ。
男子選手のような競技的興奮と女子選手らしい柔らかな美しさの融合こそが浅田真央の世界です。
そこにどんなプログラムをも自分のものにするセンスと器の大きさをもって、「フィギュアスケートにこんな表現があったのか」と我々を驚かせ続けてきたのです。
そしてもちろん、試合での厳しい表情と、リンクを降りたときの朗らかな表情のギャップも彼女の人気のひとつでした。
そんな選手を我々は”かじりつく”ようにして応援した。
実際の会場でもテレビでも、”浅田真央”を前にしたとき、ひとびとは期待と興奮、ときには不安に息を呑みながら、静かで熱い祈りを捧げていました。
会場全体、いや日本全体をピンと張り詰めた空気にするのもまた浅田真央の世界でした。

そういう浅田真央の魅力というのはフィギュアスケートが本来持っている魅力そのものです。
だから小さな子供がフィギュアスケートをアサダマオと呼ぶ現状が起きたのでしょう。
子供が「今日はテレビでアサダマオをやるよ!」、なんていうのを大人は笑ったわけです。
でも、私はそれを笑いません。
そして、おそらくいまではもう大人たちも笑ってはいないはずです。
日本人にとって浅田真央=フィギュアスケートなんです。

これからも我々は彼女のいないリンクにその幻を追い続けることでしょう。
最高に幸せな記憶とともに。
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