熊本地震から1年、いまこそ石工を

今日2017年4月14日は、昨年の熊本地震からちょうど1年ということで、県庁では犠牲者を追悼する式典が行われ、安倍晋三総理もそこに出席していましたけど、その後、地震で傷ついた熊本城を訪れた総理は、「熊本城は熊本県のシンボルであり観光の拠点ですから、財政面でも復旧を支援したい」と述べていました。
熊本城は熊本のみならず、日本全体の宝でもあるので、国が金銭的に援助するのは私も大いに賛成です。

ただ、城の修復というのはお金をかければ何とかなるというものではありません。
熊本城も地震から1年経っても手つかずのままになっていますけど、これは予算の目途が立っていないのはもちろん、修復への設計図が描かれていないのが一番の理由のはずです。
お城のような文化財を建て直す場合は、”出来るだけ元の形にする”ことが求められるわけですが、現代建築のような設計図がないので、その”元の形”の詳細がわかりません。
そこで、絵図面や写真や映像など過去の資料を探し出し、それを複数の専門家に検証してもらって、「こうだろう」という”元の形”を割り出すわけです。そしてそこに向けた設計図を描く。
考えるだけで気が遠くなりそうです。
実際の修復作業よりも、そこまでの方がずっと手間と時間もかかるといいます。

そして、熊本城の場合、最も難題とされているのが崩れた石垣です。
見る者には美しく、攻める者には恐ろしい、大きく反り立った〈武者返し〉は熊本城ならではのものですから、是が非でも”元の形”にせねばならないものですが、昔ながらの石垣を積む技術というのはすでに失われているために、現代の我々からするととてつもなく難しい作業になるわけです。
しかも、石垣というのは建物の土台でもありますから、これが直らないと、その上の櫓などの修復作業に移れません。
たとえば、3・11大震災で被害を受けた白河小峰城(福島)は、石垣の修復が(ほぼ)終わったのが今年の3月で、これからようやく櫓の復旧が始まるようです。
その小峰城の石垣の崩落個所は10箇所、熊本城は50箇所というのですから、熊本城の関係者も「5年~10年、いや20年かかるかもしれない」と嘆息を漏らすわけです。

日本は地震大国ですから、日本中にお城があった江戸時代も、やはり度々被害を受けています。
海音寺潮五郎の『日本名城伝』を読むと、小田原城などは1633年と1703年と1782年に地震に合い、とりわけ大きかった1782年のときは天守閣がみっともないまでに傾いたそうです。
それを頭川部匠太夫という大工の頭領が、天守閣全体をこも包みにした上で、太い縄を3本付け、起きなシャチ巻で少しずつ巻き起こすという離れ業で修復したのがその3年後というのですから、石垣はその3年の間に直したはずなんです。
現代と比較すると物凄いスピードです。
当時の日本には石垣専門の〈石工〉がいたということです。
これが絶えてしまったのは、おそらく明治維新のせいでしょう。
藩主というものがいなくなると同時に、お城もいらなくなったばかりか、”西洋のものは何でも素晴らしい、日本のものは劣る”という偏った考え方から、日本全国のお城が打ち捨てられた時代です。

日本人は時代が変わると、それまでの価値のあったものをあっさり捨ててしまう傾向にあります。
明治でいえば、仏像や日本画もひどい扱いを受けましたし、陶器も廃れました。
江戸時代の一般教養であった『論語』もそうです。
そして、同じようなことは大東亜戦争の後にも起こったと思います。
一度失われた技術や考え方というのは、簡単に戻ってくるものではありません。
”ゼロ”にしてしまうと特に難しいといっていいでしょう。
少しでも残す、というのが多様性なのだと思います。

そんなわけで、ゼロになってしまった石垣職人ですが、国(文化庁)としてこれを復活させてはどうでしょうか。
お城というのは日本のシンボルであり、観光資源です。
地震大国の日本では度々被害が起こりますし、経年劣化もあるのですから、国として石工を育て、雇用しても損はないはずです。
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書いている最中に地震があって、めちゃくちゃびびりました…。
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