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善光寺は長野市民の宝

ヨーロッパから長野市に観光にいらしたひとが、善光寺を見て、「自分たちの聖堂に似ている」といったという話を耳にしたことがありますが、おそらく丘の上から街を見下ろす大伽藍がそう感じさせたのでしょう。
私はヨーロッパを旅したことがないので実際にはわかりませんが、映像や文献などでそういう都市をいくつか見たことがあります。ぱっと思い浮かぶのはイタリアのジェノヴァでしょうかね。
また、その”似ている”はロケーションの問題だけではなく、善光寺の本堂の印象が「他の日本のお寺とは違う」ためだというのです。
これは私にもなんとなくわかるような気がします。

まず、一番の違いは本堂に”本尊”が見当たらないことでしょうね。
善光寺の本尊は”絶対秘仏”として有名ですが、数百年もの間、厨子の奥にしまわれ、住職に位置する歴代の貫主さまや上人さまでさえ拝んだことがないといわれていますし、本尊の身代わりである”前立本尊”ですら6年ごとにしか開帳されないため、普段の善光寺はいわば主不在の状態なんです。
こういうお寺は日本にも世界にもほとんどありません。
そもそも、お寺の本堂というのは”本尊を拝むためにあるお堂”のことをいうのですからね。
善光寺というのはその点でも”お寺らしくないお寺”ということができるでしょう。

もっとも、この”本尊がない”という状態は仏教寺院では珍しいものの、偶像崇拝を禁じるキリスト教プロテスタントやイスラム教ではそれが当たり前のことですから、外国人目線でいえば、こちらの方が慣れ親しんだ寺院(教会)の様子であり、それでもって「自分たちの聖堂に似ている」という感想が漏れたのかもしれまえん。
また、善光寺の本堂は普通のお寺とは違って、外陣までなら誰でも入れるので(法要は内陣)、そこでいつも多くのひとが手を合わせているのですが、目の前に本尊がいないので、なにかに向かって拝んでいるわけではなく、その信仰は手を合わせるひとの内面にあるわけです。
その様子もまた西洋の教会に似ているのかもしれません。

そのように仏教寺院らしくない善光寺ですが、もうひとつの特徴があって、実は”宗派”というものがないんです。
普通のお寺は浄土宗だとか真言宗だとか曹洞宗だとか宗派が決まっているわけですが、それがないんですから本当に変わっています。
でも、だからこそ、どんな宗派の方でも受け入れてくれますし、さらにその考えが発展し、いまではどんな”宗教”の方でもウェルカム!といっているのですからなんという度量の大きさなのでしょう。
善光寺本堂は総檜皮葺の建物としては日本一の規模だそうですが、その度量こそが真の日本一だと私は思います。

…しかし、誰にでも門戸を開く善光寺の大らかさというのは、性根の腐った人間にとっては、格好の餌食なのかもしれません。
昨日10月8日(2017年)、善光寺の本堂や宿坊、その周辺に100ヶ所もの落書きが見つかるという事件が発覚しました。
”善光寺の落書き”といえば、チベット弾圧を理由に北京五輪の聖火リレーのスタート地点になることを断った08年に、その報復としか思えないタイミングで本堂の柱などが汚されましたが、その犯人はいまだに捕まっていません。
今回は広範囲の犯行なので、どこかの防犯カメラにも映っているでしょうし、長野中央署はその威信にかけてこの不心得者をしょっ引いて欲しいものです。

長野市民は善光寺ほど大らかではありません。
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