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世の人は我を何とも言わば言え

鹿児島県で西郷隆盛を呼び捨てにすると怒られるというのは有名な話ですが、同じように県民から愛されながらも、県民全員から友達のように呼び捨てにされるのが土佐の英雄・坂本龍馬です。
私も高知出身の友人がいますし、高知県にも行ったことがありますが、高知のひとが龍馬を語るときのなんともいえない誇らしげな表情と、まるで近所のお兄ちゃんが都会で一旗揚げたことを喜ぶような親しみは、とても印象深いものがありました。
ところが、そんな坂本龍馬が”教科書から消える”かもしれない、というのですから、高知のひとも「なめたらいかんぜよ!」と鬼龍院花子なみにブチ切れていることでしょう。

11月16日(2017年)の報道によると、高校・大学の教員らで作る〈高大連携歴史教育研究会〉が、「教科書に載っている用語が多すぎる」ことを理由に「歴史上の役割が大きくない」事柄を教科書から削る案を文部科学省に提言する方針なのだそうです。
まあ、歴史用語というのは年々増えてゆきますし、それを憶えることが勉強の主体になってしまえば、その事柄の歴史的意義や歴史の流れが学びにくくなってしまうという判断なのでしょうね。

しかし、だからといって坂本龍馬を削っていいのか、と高知県民は憤るに違いありません。
また、龍馬は小説や映像作品でもヒーローですから、龍馬ファン・歴史ファンも黙ってはいないでしょう。
多くの日本人が持つ”坂本龍馬像”というのは薩長同盟や大政奉還に尽力した日本の偉人なのです。
歴史上の偉人ならば学校で教えねばなりませんよね。

ただ、坂本龍馬は本当に偉人なのでしょうか?
確かに薩長同盟では犬猿の仲だった両藩の仲介役として活躍し、大政奉還でもそれを建白した土佐藩に思想的な影響を与えたことは、関係者の証言や歴史的資料があるので事実といっていいのでしょうけど、歴史上の偉人というのは、世のなかを変革させるようなビジョンを描き、それを成した(成そうとした)人物をいうのです。
そういう意味でいえば、坂本龍馬は偉人たりえません。
薩長同盟を企図したのは駐日英国大使ハリー・パークス(とイギリス政府)だと考えるべきですし、そこでの龍馬はパークスの配下といってい立場でした。
大政奉還は新時代の主導権争いにおいて幕府と土佐藩の思惑が一致して編み出された逆転への一手であって、龍馬は土佐藩(後藤象二郎ら)にアイデアを与えた政治顧問とでもいうべき立場です。
(※大政奉還が成された後も平和的な政権移行には失敗し、結局は内戦に至ってしまうので、大政奉還の歴史的意義というのはそんなに大きなものではありません。)

さらにいえば、薩長同盟で大切なのは、その背景にフランスとイギリスの対立があったことです。
幕府寄りのフランスと薩長寄りイギリスで、日本の新時代に向けての影響力争いがあったわけです。
幕末期、内戦になるか平和的に政権移行が行われるかはわかりませんでしたが、日本が近代化してゆくのは確実でした。
結果的には薩長中心の明治政府が出来上がり、それとイギリスは強い関係を持ち、日本はイギリスをモデルとして近代国家へと変革を遂げて行きますし、大きな貿易相手国ともなりました。
そして1902年には日英同盟へと発展するわけです。

また、大政奉還での土佐藩の動きは、〈薩長土〉という新時代を模索する雄藩のなかで、土佐藩だけが”徳川恩顧”だということと無関係ではないはずです。
小大名だった山内一豊が関ヶ原で大した活躍もせず、時代の機微をよく読んだという一事において、家康によって土佐20余万石を与えられ国持大名になったのですから、その恩は土佐藩の骨格といっていいものがあります。
内戦に陥った後でも藩として大軍を送り込まなかったのはそのためでしょう。

このように歴史というのは当時のひとたちの政治的思惑が渦巻きながら、”縦”に繋がっているものなのです。
歴史の授業というならば、それを生徒たちが理解できるよう導くべきです。
そのために用語を減らすというのなら、文科省も世論に臆することなく実行すればいいのです。

龍馬は偉人ではなくヒーローです。
一介の浪人が日本を動かす偉人たちの信頼を得たことはもちろん、大藩や外国商人たちから上手に金を引き出して会社を立ち上げたこともまた痛快です。
生きていたら明治の大政商になり、いまに続く財閥の祖になっていたかもしれません。
「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」
龍馬本人は教科書から自分の名前がなくなったって、どうも思いませんよ。
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