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堀部安兵衛、300年越のUターン

昨日12月14日といえば、いわずと知れた赤穂四十七士による吉良邸討ち入りの日。
『忠臣蔵』のハイライトです。
それに因んで14日には日本各地で〈義士祭〉と銘打たれた催しが開かれ、特に有名な兵庫県赤穂市の赤穂義士祭、港区泉岳寺(浅野長矩と赤穂浪士の墓所)の義士祭などは全国ニュースでも取り上げられたことがありますよね。
しかし、今年一番注目の義士祭は”新潟県新発田市”のそれでした。

新発田市、かつのて新発田藩といえば、なんといっても”堀部安兵衛”です。
四十七士のなかでも大石内蔵助と並ぶ知名度を誇り、〈高田馬場の決闘〉というもうひとつの伝説を持っている江戸時代のスーパースターです。
その活躍の様子は池波正太郎先生の『堀部安兵衛』に生き生きと描かれているので、興味のあるひとはぜひお勧めします。

その堀部安兵衛は、新発田溝口家臣の中山弥次右衛門の嫡男として生まれ(中山安兵衛)、弥次右衛門がなにかしらの失態を犯して藩を離れることになった際、共に浪人の身の上となりました。
その後、江戸に出た若き安兵衛は有名剣術道場で腕を磨き、そこで一端の剣客としての地位を得たわけですが、同門の菅野六郎左衛門がさる相手との決闘に及ぶこととなり、その助太刀として駆け付けた安兵衛は、多勢に無勢のなか”十八人斬り”とも称される大活躍をして一躍江戸のヒーローになったわけです。

その安兵衛に目をつけたのが赤穂藩の堀部弥兵衛。
後継ぎがいないことに困っていた弥兵衛は、安兵衛を口説き落とし、娘と結婚させて婿に迎え入れることに成功したのです。
そうして元禄10年7月に”赤穂藩の堀部安兵衛”が誕生したわけですが、あの松の廊下の刃傷事件が起き、赤穂藩が改易の憂き目にあったのが元禄14年3月。
安兵衛は仕官から4年にも満たない新参のまま浪人になってしまったわけですから、赤穂藩への忠義がいかほどのものだったかは疑問が残るものの、それでも安兵衛は積極的に仇討ちに加わってゆくことになります。
その理由は”謎”とされていますが、『堀部安兵衛』での解釈が私はに好みです。

…と話は長くなりましたが、先月(2017年11月)、その安兵衛の遺骨が泉岳寺から新発田市の長徳寺に分骨され、”300年ぶりの帰郷”を果たしたそうです。
昨日12月14日はその分骨後初めての義士祭だったのですから、注目を集めないはずがありません。
新発田市ではまず中山家の菩提寺である長徳寺のお堂で市民団体による剣舞や詩吟が催され、その後、市内の小学生児童がダンダラ法被の義士姿に扮し、太鼓を鳴らし、勝鬨を挙げながら市街地を練り歩く〈少年少女剣士パレード〉が行われます。
今年の新潟県は例年よりも降雪が早かったこともあって、映像作品で観る忠臣蔵のような風情のあるパレードだったようですね。

また、お堂での剣舞では安兵衛に扮した小5の女子児童が気迫の籠った剣さばきを披露していたのですが、この少女は5月に行われた市内の剣道大会での優勝者だそうです。
このような”優勝特典”があるのなら、子供たちも大いに稽古に励むことでしょう。
そして、この義士祭の思い出が地域への誇りと愛情を育み、若者の定着率アップやUターンの増加にも繋がってゆくのだと思います。

いい伝えによると、安兵衛は堀部家に婿に入る際、”中山性のまま”という条件をつけ、やがては中山家を復興させたいという思いがあったようです。
その先には新発田溝口家への復帰の夢もあったのかもしれません。
300年越しのUターンですね。
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