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長崎のキリシタン、世界遺産登録へ

このところ毎年のように誕生する日本の世界文化遺産ですが、昨日6月30日(2018年)、ユネスコの世界遺産委員会で、〈長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産〉の登録が正式に決まったようです。
長崎県民を中心とするひとびとがこの登録運動を開始したのが2001年だといいますし、そこから地道に訴えを広めていって、ついにそれが認められたのですから、関係の方々の努力には頭が下がりますし、私も心から祝福したいと思っています。

ただ、今回の遺産群の登録運動では、それまでは〈長崎の教会群とキリスト教関連遺産〉としていたのに、昨年から〈長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産〉に変更したのがちょっと引っかかっているんです。
そもそも私などは〈潜伏キリシタン〉なる名称をこのとき初めて知りました。
日本でキリスト教が禁教だった時代(主に江戸時代)、お上に隠れて信仰していたひとびとは〈隠れキリシタン〉と呼ばれていたはずですし、日本の教科書にもそう書かれています。

その長崎の隠れキリシタンでいうと、私はかなり前に、司馬遼太郎さんの本で〈オラショ〉という信仰の形が書かれていたのを読んだことがあります。
平戸市のあたりの隠れキリシタンの信仰は、仏教などに擬しながらお上の目をごまかしているうちに、土俗的な宗教・風習とない交ぜになり、独特の進化を遂げたそうです。
そのなかでも彼らが口ずさむ〈オラショ〉は、ラテン語の”oratio”を由来とする祈りの詞であり歌でありながら、その言語はラテン語とも日本語とも判然とせず、その内容も謎に包まれ、まさに土着化の象徴というわけです。
そしてそのオラショを口ずさむひとびとは、信仰が自由になった明治時代以降も、隠れキリシタンであることを公にせず、それまでの信仰形態を密かに守ったとのことでした。

ですから、私は当初、「長崎県の潜伏キリシタン」と聞いて、このオラショのことかと思ったんです。
しかしその後、色々と情報が漏れ伝わってくると、〈隠れキリシタン〉にも2種類あることを知りました。
オラショのように信仰を隠したままだったひとびと、そして信仰を公にしてカトリックに復帰したひとびとです。
私も勉強不足でした。

ちなみに、幕末に開国したのをきっかけに、バチカンからも宣教師が送り込まれ、隠れキリシタンのなかにも信仰を明らかにするひとびとが現れ始めたことから、幕府や、当初はキリスト教を禁じていた明治政府による弾圧が行われました。
この弾圧についてはカトリック教会は大いに非難しますが、極東に250年にも渡って密かに信仰を続けていたひとびとがいたことは〈信徒発見〉と呼ばれ、カトリック教会を大いに歓喜させたようです。
そして、日本でキリスト教が許された明治6年以降、カトリック教会の猛烈な援助もあって、長崎にはいくつもの立派な教会堂が建てられました。
それが今回の遺産群というわけです。

そういう歴史を見ていると、長崎県が”潜伏”という言葉を入れたことが、登録決定を後押ししたような気がしてなりません。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は欧州の国々が中心となって立ち上げたものであり、そこにカトリックの影響がないはずはありません。
信徒発見の歓喜は彼らの心をくすぐったはずです。
そして、もちろん長崎県が今後見込んでいる観光客はキリスト教の巡礼者たちでしょうね。

しかしその”潜伏”や”発見”、それによる”歓喜”というのは、一方的な立場からのものであることも忘れてはなりません。
禁教令というのは古今東西色んな国で出されていますけど、宗教というのは争いやトラブルの種になることも多く、為政者側にはそれを取り締まらなければならない理由があったということです。
現代とは違い、布教と侵略が一体化していた時代もあったのですからね。

また、気になるのは”発見”されなかった隠れキリシタンたちの扱いです。
大教会に属していようと、狭い地域のなかで息をひそめていようと、信仰の尊さに差はないはずです。
”秘すれば花”という日本の価値観に沿っていえば、自由になった後も隠し続けるひとびとがいることが、私にはなんだか好ましいんです。
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