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王座陥落みつどもえ

江戸時代の司法といえば、『遠山の金さん』や『大岡越前』で描かれる”御白洲でのお裁き”が真っ先に思い浮かびますよね。
しらばっくれる下手人に奉行が証拠を突き付けると、「畏れ入りました」となるあれです。
しかし、実際には多くの下手人が取り調べ段階で罪を認め、御白洲でもただただ畏れ入って、粛々と事が運んだそうなので(三田村鳶魚の本)、ドラマチックな展開はなかったようです。
その畏れ入るの対象は”幕府の御威光”であり、それが神仏のようなパワーを持っていたということでしょうし、それだけ当時のひとが敬虔だったということだと思います。

こういう伝統があるせいか、いまだに日本の司法は”自白偏重”だといわれています。
ただし、現代では”お上”に江戸時代のような御威光がありませんし、ひとびとも敬虔ではないので、すぐには畏れ入りません。
そこで自白を引き出すとなれば、どうしても取り調べに時間をかける必要があるので、勾留期間が長くなるわけです。
もちろん、その目的は容疑者にありとあらゆるストレスをかけて”落とす”ことです。

自白は”証拠の王様”という異名もあるように、欧米でも重視されていますが、日本は被疑者の拘束期間が長いので、海外からも度々批判を受けます。
ストレスからの自白というのは”冤罪”を産む可能性がありますからね。
再審になるような事案では”自白の強要”が問題になるのはみなさんご承知の通りです。
そういうことが起きないためにも、やはり裁判を重視するべきなのでしょう。
警察や検察の取り調べは密室ですが、裁判は公です。
公で裁くのが民主主義です。

ところが日本人は裁判を好みません。
欧米に比べ、訴訟の数も弁護士の数も少ないというデータがあるように、民事では調停(和解)を好み、刑事では”有罪律99%”が示すように、答えのわかる裁判しかしない、答えが不確かならば起訴しない道を選ぶわけです。
どちらにしろ”内々”で事をすませたがるということです。
冤罪を産む温床はそういう日本人の気質なのかもしれませんが、そろそろ日本でも自白偏重になりがちな制度を見直すべきときです。
現在の刑事事件では科学データや電子情報(通信・取引)、映像が決め手になることが多く、自白はすでに王様の地位を譲っているはずです。

そして、もし裁判重視になったとしたら、ぜひ法廷をテレビ中継して欲しいものです。
海外でも一部の国では事案によってはそれが行われています。
アメリカやイギリスで大きな注目を集めるケースもありますよね。
”公で裁く”ならば、やはりテレビやネットでの中継が必要です。

繰り返しますが、大事なのは公です。
ですから、いま世間を賑わしている〈カルロス・ゴーン事件〉で、保釈されたゴーン被告をメディア(パパラッチ)が追い回すのはあまりにも無意味です。
ゴーン被告が東京拘置所から変装して出てきたことを”落ちぶれた王様”とばかりに既存メディアが笑いものにしていますけど、あれは人権被害を避けるための苦肉の策ですよね?
既存メディアがヘリやバイクを使って執拗に追跡をするからですよね?(これは一般市民にも大迷惑)
ゴーン劇場は既存メディアのマッチポンプです。
こういうことをしているせいで既存メディアの王座は陥落しかかっているのです。
(※今年2019年内にネット広告が地上波テレビのそれを逆転すると見込まれています。)

マスコミは「我々の背後には国民がいる」なんて常々うそぶいていますけど、我々が見たい・知りたいのは会見や裁判でのゴーン被告の言葉や態度です。
つまり”公”の姿です。
家族で散歩する”私的”な彼を追いかけ回すような下衆な行為は、国民が望んでいるものではありません。
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