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八ッ橋訴訟と伝統の守り方

前回、京都の修学旅行のことを書いていたのに、ふれないのもおかしい話なので、今回は6月10日に京都地裁で判決が下った〈八ッ橋訴訟〉について少し書いてみることにします。

そもそもこの裁判がどういうものかといいますと、京都の老舗八ツ橋屋である〈聖護院八ッ橋総本店〉が「元禄2年(1689年)創業」と謳い、自分のところが最も古いといっているのを、これまた同じく老舗の〈井筒八ッ橋本舗〉が「その創業年が本当だという証拠はなく、消費者に聖護院が八ツ橋の考案者だと誤認させる」として、表示の差し止めと損害賠償を求めて18年に民事訴訟を起こしたんです。

我々一般人にしたら、聖護院はもう何十年も「元禄2年」といっているので、いまさら感があって戸惑うところなのですが、実は〈京都八ッ橋商工業協同組合〉のなかでは何十年も前から、その”起源”については議論の対象になっていたんです。
その起源は大きくわけて2つあって、ひとつは江戸時代初期に筝曲を完成させた八橋検校にちなんで、箏の形を模したお菓子を作ったという〈楽器説〉。
もうひとつは、『伊勢物語』東下りに出てくる「みかわの国八橋」から取ったという〈三河の橋説〉。
組合のなかでもひとつには定まっていませんし、それくらい八ッ橋というのは、いつどこで誰が作ったかわからないお菓子なのです。

ですから、各お店は互いの創業がいつかなどには目くじらを立ててこなかったのでしょうけど、ここ数年、アベノミクスによって外国人観光客が急増すると、創業年が有効なフレーバーテキストになってしまい、”最も古い”と自称する聖護院が優位に立ってしまったこと
で議論が過熱してきたようです。
そこで組合内で話し合いが持たれたものの、聖護院側が創業表示を取り下げることを頑なに拒んだため、訴訟という運びになったわけです。

そしてその裁判の結果はといいますと、京都地裁は請求を”棄却”、つまりこれで聖護院は元禄2年を謳い続けることが可能になったわけです(井筒側は控訴するようです)。
ただし、判決では元禄2年が正しいと認めたわけではなく、「それは江戸時代に創業したという認識を消費者にもたらす程度で、商品選択に影響を与えるほどのものではない」という判断を下しただけのことです。

しかし、私はこの判決に疑問を感じています。
たとえば、世界の一流ブランドで創業年を明記していないところはひとつといってありませんし、日本のインバウンドの主体である中国人は”老舗を好む”という専門家の分析もあるんです。
これは中国には100年以上の歴史のある企業が少ないためだといわれています。
それなのに「商品選択に影響を与えない」といえるのでしょうか?
日本には老舗が多いせいで、日本人は伝統の価値が見えなくなっているのかもしれません。
失ったり、奪われたりしたときに気づいても遅いんです。

もっとも、こと”日本人の消費者”に限っていえば、元禄2年は大した訴求力を持たないでしょう。
なにしろ、いまの八ッ橋の売れ筋は、昔ながらの焼いたタイプではなく、60年代から販売されるようになった生タイプです。
味の種類も伝統のニッキにこだわらず、抹茶だのチョコだの黒ゴマだのと豊富に揃え、そういう新商品開発力やパッケージのデザイン力などが商品選択に影響を与える時代になっているのです。

その”生八ッ橋”でいえば、本来のそれは八ッ橋を焼く前のでろんとした生地のことをいうはずなのに、一般的にイメージされるのは”生の生地で餡を包んだもの”になっていますよね。
「お土産に生八ッ橋を買ってきて」と頼まれて、生地だけのやつを持っていったら、余程の八ッ橋好き以外からはガッカリされるはずです。

そんな餡を包んだ生八ッ橋の始まりといわれているのが、あの有名な〈おたべ〉です。
京都の町で首振り舞妓の人形を見たことのあるひとも多いでしょう。あれです。
販売元である〈株式会社美十〉は1957年に八ッ橋製造に乗り込んでいった新参者でしたが、66年に〈おたべ〉が大ヒットして、老舗ひしめく業界で確固たる地位を築いたというのですから大したものです。
その後、他のお店でも餡を包んだものにそれぞれ名前を付けて販売し、主力商品となり、八ッ橋自体も他の土産お菓子との競争に打ち勝っているのですから、〈おたべ〉は八ッ橋の歴史を変えたといっていいでしょう。

革新こそが伝統を守る、とはこういうことをいうのだと思います。
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