本当に実現するのか、米朝首脳会談

「アメリカ本土全域が我々の核攻撃の射程圏内にあり、核のボタンが私の事務室の机の上に常に置かれていること、これは決して威嚇ではなく、現実だということをアメリカははっきりと理解すべきだ」
これは今年2018年1月1日、北朝鮮のキム・ジョンウン委員長が自国民に向けて高らかに述べた新年の辞ですが、それがこの3月になって「核実験や弾道ミサイルの発射実験を自制する」と180度方針転換をしたというのですから、俄かには信じられませんよね。

北朝鮮がピョンチャン五輪に協力したお礼として韓国が北に特使を派遣したのが3月5日。
その特使らがキム委員長から手厚い歓待を受け、南北首脳会談の約束をしてしまったことは韓国得意の先走りとしか思えませんでしたが、そこで北朝鮮が「核とミサイルの放棄」を口にしていたとすれば、韓国の親分であるアメリカもムン大統領の訪朝を止めることはないでしょう。
アメリカが求めているのはまさにそれですからね。

そしてその韓国の特使チョン・ウィヨン国家安保室長は韓国に戻ったかと思うとすぐにアメリカに飛び、8日にホワイトハウスでトランプ大統領と面会。そこでキム委員長との話し合いの内容を逐一報告したようです(もはやどこの国の閣僚かよくわかりませんね)。
そしてそこでチョン室長から、北朝鮮が核・ミサイル実験を自制し、米韓軍事演習を容認することを聞いたトランプ大統領は「米朝会談を計画中だ!」と発表したわけです(5月予定だそうです)。
まさに急転直下としかいいようがありません。

世界中のメディアはこれを大々的に報じたのはもちろん、日本や中国といった関係国も声明を出していましたけど、どこも口では「歓迎」といいつつも、その態度は”困惑”と”懐疑”の色が濃いものでした。
安倍晋三総理は「北朝鮮の変化を評価する。高度な圧力の成果だ」と感想を述べると同時に、4月にも渡米してトランプ大統領と話し合う方針であることを示しました。アメリカの真意を質すと同時に、騙されないよう釘を刺すつもりなのでしょう。
また、北の同盟国である中国もこの事態の変化は想定外だったらしく、緊張緩和を歓迎すると述べつつも米朝の接近を警戒しているようでした。

それにしても北朝鮮は本当に核やミサイルを”放棄”するのでしょうか?
チョン室長によれば、北朝鮮は”アメリカが体制を保証すること”を条件に「朝鮮半島非核化の意思を明確にした」そうですけど、北は過去にも同じことをいってクリントン政権を騙したことがありますよね?
しかもキム委員長は自国民に向けて、アメリカを敵視するような扇動を行い、核兵器の重要性を語ってきたのですから、どうやってこの変化を国民に説明するのでしょう?
さすがの北朝鮮国民も将軍さまが簡単に核を放棄してトランプ大統領と握手するとなれば唖然としちゃいますぜ。

北朝鮮の本気度を計るにはまず核拡散防止条約(NPT)への復帰を待たなくてはなりません。
その後、国際原子力機関(IAEA)による全面的かつ無条件での査察を受け入れるかどうかが第一歩でしょう。
その査察がある程度進むまでは制裁を続けるべきです。
そこを緩めてしまえば歴史はまた繰り返すことになります。
トランプ大統領はツイッターで「非核化が合意に達するまで制裁は維持される」と述べていますけど、合意で制裁を解除してしまえば北の思う壺です。
安倍総理にはそれをしっかりアドバイスして欲しいものです。

騙され続けてきた国として。
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『コロコロ』チンギス・ハン問題 大人の悪戯・大人の悪知恵

どんな国家や民族にも英雄や偉人がいて、それを他所から傷つけられれば怒るのは当たり前です。
”自分におきかえれば”すぐにわかることですよね。
ただし、ここで難しいのは、相手にとってその英雄や偉人がどれだけ大切なのかよくわからないことです。
その”ズレ”がトラブルを招いたケースは古今東西数えきれないほどあるでしょうけど、それを回避する最善の態度というのは”触らぬ神に祟りなし”だと私は思います。
ですから、いま話題になっている『コロコロコミック』の〈チンギス・ハン問題〉を知ったときは私も少々混乱しました。
”なぜそこに触れたのか?”というのが正直な思いです。

この問題は、現在発売中の『コロコロコミック』18年3月号で連載されている『やりすぎ!!!イタズラくん』のなかで、主人公が教科書に載っているチンギス・ハンの肖像画の額に”チンチン”のマークを書き込むシーンが描かれていたのが発端です。
それを見た朝青龍や白鵬がSNSで批判したのはもちろん、日本に住む多くのモンゴル人が激怒し、抗議の動きが起こりました。
世界の多くの国々にとってチンギス・ハンは恐ろしい侵略者ですが、モンゴル人にとっては人類史でも最大規模の大帝国を築いた民族の大英雄なのでしょう。
そういう人物を編集の段階で”触るな危険”と感じなかった小学館のセンスが残念でなりません。
あえて踏み込んでゆくのは喧嘩を売っているのと同じ意味です。

また、こういう問題が起きたときによく聞く”表現の自由”という言葉がありますが、表現者に自由があるならば、受け取り手にも自由があることを忘れてはなりませんし、表現者は受け取り手の”反応”に対する覚悟を持つべきです。
はたして作者である吉野あすみ氏と小学館はそれを持っていたのでしょうか?

しかも、この問題というのは『やりすぎ!!!イタズラくん』だけの責任ではないんです。
この『コロコロコミック』3月号では同時に〈イタズラクガキコンテスト〉なる企画を打ち出し、読者からの肖像画の悪戯書きを募っていたんです。チンギス・ハンはその企画ページでもモデルに採用されていました。
ようするに『やりすぎ!!!イタズラくん』の内容は雑誌企画と密接にリンクしているわけです。
作者さんよりも小学館の方に大きな責任があるといえるでしょう。

ちなみにほとんどのメディアではこの〈イタズラクガキコンテスト〉は扱わず、『やりすぎ!!!イタズラくん』だけの問題のように報じられています。
そのため、モンゴル人約90人が小学館前でデモをし、3月号の回収や作者の謝罪を求めたというニュースを見た日本人の何割かが、”たかがギャグ漫画ではないか、なぜそんなに怒るのか?”と疑問を感じ、さらには”モンゴル人が高圧的な態度で表現の自由を侵害している”と勘違いしてしまうわけです。
モンゴル人の立場からすれば、『コロコロコミック』という日本でも有数の人気雑誌が総力を挙げて自国の英雄を害そうとしているわけですから、黙って見過ごせないのは当然のことです。
そこの部分を報じないマスメディアは、責任を吉野あすみ氏に押しつけ、小学館や『コロコロコミック』を守ろうとしているようにしか見えません。
報道しない自由で組織と既得権益を守る素晴らしい手腕です。

『コロコロコミック』がやったことは子供の悪戯などではなく、笑えない大人の悪戯ですが、それ以上に笑えないのは問題を矮小化しようとする大人の悪知恵ですぜ。
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”魚沼産”ってどこ?

バブル崩壊後の日本は地方交付税が減り続け、地方は自分たちでどうにか経済を盛り上げてゆかねばならなくなったわけですが、その柱のひとつが”地域のブランド化”です。
主に飲食品がそうですけど、20年前に比べて、地方名を冠にした商品がどれだけ増えたかしれませんし、ふるさと納税とリンクさせている市町村も多いですよね。

ただし、全ての市町村がブランド化に成功しているわけではありません。
無理矢理商品開発をしてまったく売れなかったり、地自体が多額の投資をしたところが天下り先になった挙句に経営に失敗して借金だけが残ったという酷いケースもあります。
そういうところから見ると、確立されたブランドを持っている地域というのは羨ましい限りでしょうね。

しかし、その確立されたブランドも決してその地位が揺るがないというわけではないんです。
日本穀物検定協会が今日2月28日に発表した2017年産米の食味ランキングですが、あの〈魚沼産コシヒカリ〉が最高ランクの特Aから初めて外れたことが大きなニュースになりました。
1989年から続くこのランキングで、魚沼産コシヒカリは唯一特Aを守り続けていたそうですから、業界や関係者にとっても大きな衝撃だったはずです。
ちなみに特Aには44ブランドが選ばれているので、魚沼産コシヒカリは45位以下ということになります。

ただ、このランキング表を見ると、地域分けというのはかなり大雑把なんです。
嬉しいことに私の住む長野県でも〈北信のコシヒカリ〉が特Aに選ばれていますけど、”北信”ってめちゃくちゃ広いですよ。2市1町3村もありますもの。
しかも、そのなかで市町村名+お米で、ブランド化に成功しているのはおそらく木島平村だけだと思います。
日本穀物検定協会はいったいどこの市町村のお米で判定しているのでしょうか?

これは”魚沼産”でも同じことです。
”魚沼産”を冠にしたコシヒカリを出荷している5市2町は南魚沼郡・北魚沼郡・中魚沼郡に属しているからそれを名乗っているわけですが、最初に〈魚沼産コシヒカリ〉をブランド化させたのは旧塩沢町(現南魚沼市)とその周辺地域だったはずです。
他の地域はあとから乗っかったということでしょう。
ちょっといいにくいことですが、市町村合併で魚沼郡側と一緒になった他の郡も”魚沼産”を名乗っていますからね。

TPPも発効されますし、今後の農業というのはよりブランド化が進むはずです。
そこでのあやふやな検定というのは信用を失いかねません。
EUのような厳格な原産地名称保護制度がブランドを守るのだと私は思います。

とりあえず、魚沼地方のみなさん、責任の押し付け合いにならないように!
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内親王に恥を欠かせるなど許されない

昨日2月6日(2018年)、突如発表された眞子内親王の結婚行事延期は、国民に大きな衝撃を与えましたが、昨年末から複数の週刊誌でお相手の小室圭さんとその母親にまつわる金銭トラブルが報じられていたので、ああやっぱり…と思われたひとも多いのかもしれません。

眞子内親王のご婚約に関する動きは昨年5月にNHKがスクープし、宮内庁はその時点では「未定」と説明したものの、その後報道が過熱するとともに婚約が既成事実化した9月には宮内庁も「婚約内定」と発表しました。
そうして結婚に向けたスケジュールが決まり、今年3月には結納の儀、そして11月には結婚式という運びだったわけです。

それが結納の儀を間際に控えての延期。
内親王の婚約延期というのは前代未聞といってもいいでしょう。
結婚式は2020年に執り行うという予定だそうですけど、眞子内親王の心中を察すると私も胸が痛みます。
これから約2年もの間、内親王は国民から同情の目を向けられるわけですが、それは晒しものにされるのと同じことです。

このような事態に陥った直接の原因は小室家の杜撰な金銭感覚にあったことは疑いありません。
複数の週刊誌報道によれば、未亡人である小室圭さんの母親は、数年前に結婚を前提としてお付き合いしていた男性から400万円を援助してもらい、それを圭さんの大学入学費や留学費に当てたそうです。
ところが、その後、母親と男性が破局すると、男性側は「お金は貸したものだ」として返却を求めたものの、母親は「もらったものだ」としてそれを拒否したというのです。
小室家側は男性から援助を受けたことについては否定していませんから、お金の流れ自体があったことは事実なのでしょう。
問題はその流れに対する認識というわけです。
(「もらった」とする小室さんの母親は贈与税を支払ったのでしょうか?)

この手の金銭トラブルは我々一般人でもよくあることですし、裁判沙汰も珍しくはありませんが、内親王の降嫁を控えた小室家がことを穏便に処理しなかったことは甚だ疑問です。
援助を受けたのは事実なわけですから、向こうが返せといってきたら、争わずに返却すべきでした。
400万円もの現金ですからすぐに用意できなくても、毎月数万円ずつでも支払うという約束をし、実際そうして誠意を見せておけば男性側もことを荒立てなかったでしょうし、報道が出ても「少しずつ返している」と説明すれば問題はなかったはずです。
それが結婚の延期にまで発展してしまったのですから、小室家の責任は大きいとしかいいようがありません。

ただし、今回の延期については、眞子内親王は「予期せぬ時期に婚約報道がなされました。このことに私たちは困惑いたしました。(中略)当初の予定を大きく前倒しして婚約が内定した旨を発表することにいたしました」とのコメントを出され、金銭問題には触れていませんし、宮内庁もそれが原因であることを否定しています。
内親王と宮内庁の批判の矛先はすっぱ抜いた”NHK”です。
眞子内親王にしたら、自分たちのペースで結婚に向けて話を進めていれば、今回の金銭トラブルも事前に解決できていたのに、という忸怩たる思いもあるのかもしれません。
また、宮内庁もNHKのスクープがなかったら、小室家の”身辺調査”をしっかりすることができたはずです。

しかし、宮内庁は仮に時間がなかったとしても、今回の金銭トラブルをどうにかすべきでした。
小室家にアドバイスをしてもよかったでしょうし、場合によったらお金を貸してもよかったはずです。
宮内庁にだって機密費のようなものはあるでしょうに。
結婚を2年も延期することによって生じる警備費などのコストを考えれば、400万円などは安いものです。
宮内庁は眞子内親王の結婚についてはもっと剛腕を振るうべきです。
この400万円だけではなく、しばしば話題になる小室圭の就職の問題や結婚後のお2人の新居も、宮内庁が用意すればいいんです。

眞子内親王の結婚については、女性宮家創設案や女系天皇論もあって、国民が諸手を挙げて賛成というわけではなかったと思いますが、ことここまで来れば、とにかく内親王に恥を欠かせてはなりません。
宮内庁はそれを一番に考えて行動して欲しいものです。
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恵方巻と商売人根性

昨日土曜日(2月3日)の昼下がり、相方と回るお寿司屋さんに行くと、中途半端な時間だというのに妙にお客さんが多く、レジの後ろも予約注文の袋がたくさん置かれていて何事かと思ったんですけど、そうです節分です。恵方巻です。
恵方巻といえばもともと大阪の一部の風習だったものが00年代からは全国的な広がりを見せているとはいえ、私の住む長野市でもこのように定着していることは驚きました。
しばらくすると”売り切れ”の表示になりましたし、営業時間はこれからだというのに店長さんが早くもぐったりしていました…。

ちなみに”節分の行事食”というのは、伝統的な定型を持つ地域は極少数で、一般的には特別なものは食べられてきませんでした。
雛祭りのちらし寿司や端午の節句の粽や柏餅みたいなものはないんです。しいていえば豆まきの豆でしょう。
そういう間隙を縫って恵方巻を定着させた業界(寿司・小売り・醸造)とマスメディアの”商才”は大したものです。

そう、この恵方巻は伝統食ではなく、商業食なんです(※伝統食なのは一部地域)。
そもそも伝統食にはなんらかの意味があるものです。
地域の風習であったり、宗教であったりがその背景にあるわけです。
ですから、私は恵方巻を食べるときも伝統食だとは思わず、商業食だと思って食べます。
ただし、せっかくですから”楽しむこと”は忘れません。バレンタインのチョコやクリスマスのケーキやチキンと同じことです。
どこかの地域の真似をすることをイベントとして楽しむわけです。

そんなふうに考えている私ですから、関西以外の地域で恵方巻を伝統食として扱うことには違和感を覚えて仕方ありません。
長野県内でも須坂市のさる小学校で、地域の伝統野菜を用いた恵方巻を作り、それを子供たちが食べるという催しが開かれたことが全国ニュースでも報じられていました。
この催しは「ふるさとの食材や日本の食文化に触れてもらおうと、地元のすし店などが企画したもの」だそうですけど、須坂市はここ最近その伝統野菜を全国に発信しようとかなり努力していますから、行政と民間が一丸となった町おこし企画といってもいいでしょう。
ただ、そこに”恵方巻”や”小学生”という要素を絡めたところに私は”いやらしさ”のようなものを感じて仕方ありませんでした。
伝統野菜をPRしたいのであれば、須坂の伝統食をこしらえればいいだけのことです。
しかしそれではマスメディアが”かぶりついて”こないので、恵方巻を使ったのでしょう。
これもまた”商才”というわけですかね。

恵方巻とともに、大阪の商売人根性も全国に普及しているようです。
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